沖縄視察④ 航空自衛隊那覇基地 同期の桜慰霊碑

最終日は、午前中に航空自衛隊那覇基地を訪問。基地内の会議室で空自の広報官による活動概要についての座学と質疑応答、F15の格納庫見学と空自整備員によるF15 戦闘機の説明、基地内旧海軍砲台跡、同期の桜慰霊碑にて献花慰霊。
 基地内の隊員食堂で昼食後、陸上自衛隊那覇駐屯地広報資料館にて沖縄戦座学。国防のほか、災害時の応援支援体制や離島での緊急患者搬送についての概要を学ぶ。
 最後は豊見城市の旧海軍司令壕を見学。
 最終日の訪問先は、個人的にはいずれもこれまでに複数回訪れているが、それでも毎回違った印象が残るしそれまで気づかなかった新たな発見が必ずあるので、ひとことづつでも箇条書きにでもして羅列しておきたいのだが、ここでは、午前中に慰霊をした「同期の桜」に‘関連’したことを少し書くことにする。あえて’関連‘としたのは今回の視察目的とは若干離れてしまうからである。
 広島経済大学の岡本貞雄教授は、学生たちとともに、長年にわたり「いのちをみつめる」活動を行っている。2009年2月23日、岡本ゼミナールの生徒たちに、元海軍第十四期専修予備学生の大之木英雄氏がこの同期の桜碑の前で講演を行った。いわゆる特攻隊の生き証人である。
 特攻というと、およそ人権などを無視した非人道的な作戦の代名詞のようにもいわれ、いきなり襲ってくる発疹のアレルギーのようにやたら拒絶反応を示す人も少なくない。
私自身も、戦争経験者である祖父から晩ご飯の時には必ず自身の戦争体験を聞かされながら育っており、けっして戦争を美化しようという気はさらさらない。しかし、前出のひめゆり女子学徒の献身的な行動がそうであったように、あえて死を受け入れる彼らの行動を果たして善悪という単純な二元論で片づけていいものかどうか。20代後半から私自身がそう思うようになった経験から、大之木氏の証言の一部を残しておきたいのである。
 武士とは何か、侍とはどういう人のことか。江戸時代の階級の一つである一方、潔さ、気風の良さ、礼儀正しい等のイメージはあるものの、その精神性、生き様についての区分を記しているものはそれほど多くはない。その精神性をひとことで言い表すなら、「自分の死期を自分で決められる人」という表現が最もふさわしいのではないか。これを聞いて、かっこ悪いと思う人はあまりいないのではなかろうか。「侍」を枕詞に日本の日の丸を背負って、命運をかけて試合に臨むスポーツ選手たちが頼もしくまた美しく映るのも、まさにこの「侍」のイメージ効果といえよう。
 普通に生きている人は誰でも死にたくない。老衰や重い病で死期が近づいている人でさえ誰も死にたくないのが本音だ。特攻隊員たちは、その受け入れられないはずの死を、苦悩しながらも自分自身の中で納得をして戦地へと出撃していった。「自分がやるんだ」という責任感と主体性を身につけ、死への恐怖と生への未練を超越した崇高さを持ちながら敵艦へと突入された。彼らは、見事に死期を自分で決めたまさしく武人、侍なのである。特攻など大した戦果も上げられず無駄死に、犬死にだ、などという意見もあるのも事実だ。敵味方関係なく、尊い命を数字で比較するのも不謹慎ではあるが、この特攻による沖縄戦で撃沈した米艦船は40隻、撃破350隻、米軍の死傷者数は1万人を超え、カミカゼ攻撃の恐怖で精神的に異常をきたした米兵はその10倍になるということもまた事実である。
  英国のポーツマスに海軍の英雄ネルソン提督の船と記念館がある。その横にある海軍博物館の真正面には、なんと零戦特攻の大きな写真が展示してあるというのだ。その写真には「特攻は栄誉ある行為であり、道義心を示す象徴である」という一文が添えられている。最高の賛辞ではなかろうか。英国と日本は命の取り合いをした敵国同士なのである。この賛辞ともいえる一文は、いざ有事となり、国を守る、家族を守るとなった時の捨て身の行動は、国や文化は違えどみな同じなのだということを教えてくれている。大之木氏の横で小学生の団体が立ち止まって特攻の写真を見上げている。小学生が見てくれるところに意味がある。本当に涙が出た。と大之木氏は回想している。「特攻というのは、国家や民族の大きな転換点に遭遇した者の、運命であり、使命であった」というのが大之木氏の総括だ。後世の誰かが記憶し、誰かに語り継いでいくことで、特攻隊員たちの尊い命は、「生」につながる犠牲となるという考えもできるのだと感じた。
  特攻隊員たちのような崇高な気持ちにははるかに遠く及ばないが、平和教育と行政の一端を預かる身として、我々の先人たちが、尊い命と引き換えに残してくれた記録を絶対に忘れてはならないと「同期の桜」碑の前で改めて心に誓った最終日だった。