皇紀2684年 辰年

明けましておめでとうございます。
令和6年、皇紀2684年の今年は辰年です。
そして来年の3月には早いもので私自身も一回りして還暦になります。
正直言って60年(まだ59年ですが)も生きてきたという実感はまるでありません。このように感じている同輩、先輩諸兄のみなさまは多いのではないでしょうか。

私が子供のころは、年末から年明けての3日間はなにやら特別な時間でした。
我が家は肉屋だったのでクリスマスから年末までがそれこそ寝る間もないほど忙しく、中学生くらいの頃からか、夜は肉の脂で汚れたパイレシー(肉の保存用の入れ物)やたたみ一畳ほどもあるでっかくて重たい脂がしみ込んだまな板や肉の塊を薄く切るスライサーなどを洗いに行ってました。
二葉肉店(実家の屋号)は父の方針で、スーパーや駅ビルなどでは売っていない比較的高級な肉を扱ったいたので、年末くらいはいいお肉を食べようというお客様の気分的な後押しもあり、朝早くから夜中まで大忙しでした。特に年末の2日間は忙しく家族総出で動き回り、大晦日の帰宅は夜中の0時近くでした。
疲れ切った両親と一緒にNHKのゆく年くる年を見るのが恒例でした。なので家族で紅白歌合戦を見たことは一度もありません。
そして迎えるお正月。
祖母手作りのおせちと大量の肉の切れ端(笑)、筑前煮などが名前入りの祝箸とともにテーブルの上にきれいに並び、お屠蘇の徳利やお猪口も普段は食器棚にしまってある絵柄のついたものが並べられていました。わが家は明治生まれの祖父もおりましたので一年のうちにいわゆる「昔」を感じる節目が何回かありました。
また、当時は、地元の商店や市川駅シャポー(駅ビル)などは三が日はお休みで、まちなかがとても静まりかえってました。
あの怒涛の暮れの忙しさからはまるで対照的なゆったりとした時間の流れ。これが私のお正月です。

ところが最近は、新年を迎えてもあまり特別な感じがしません。
職業柄一年のところどころに様々な団体の式典や記念行事、それらに付随する宴会も多々あるので、節目というものを感じにくくなってしまっています。
たしかに4年に一度の選挙は大きな節目ではありますが(笑)
いや、むしろ年が変わるということは、こちらも年を取ることだし果たしておめでたいことなのだろうかなどと世捨て人のような発想をすることすらたまにあります。
とはいえ、60年近くこうしてなんとか大病もせず元気で新しい年を迎えられるのも、日ごろからお世話になっている皆様、身近なところで応援してくれている方々のお陰と心から感謝しております。
特に、私の健康を考え、「今日はノンアルしなさいよ」やかましくいいながらも、栄養バランスの調った食事を作ってくれている方には、感謝の言葉が見つかりません。ただただ頭が下がります。

さて、私の住む市川市は、今年で市政施行90年という節目を迎えます。
現在90歳の方と同じく昭和9年11月3日に市川市は誕生いたしました。
そのころ生まれた方は小学校の卒業を迎えるのは12歳のころ。ところがこの年は戦禍も激しい昭和20年、戦時下のため卒業式を執り行えなかった学校が多くあります。事実市川市内でも卒業証書を受け取れなかった方が1800名います。
市政施行90年を迎える今年の11月3日の前日11月2日に、卒業証書を受け取れなかった方に、教育長から卒業証書の授与式が行われる予定です。
実は、この件については2年ほど前私が本会議で質問したことです。それを受けてのことかどうかわかりませんが、誰も取り残さない社会、寄り添える社会の実現の一環として、とても良い試みだと評価したいと思います。

{たまごを割らなければオムレツはつくれない}というフランスの諺は、当然に行わなければならない行為を行わなければ期待する結果は得られない。という意味の例えです。
私も自身への自戒を込め、誰も取り残さない社会、一人一人に寄り添える市川市になるよう、これからもこれまで以上に果敢に行動してまいります。

本一年、どうぞよろしくお願い申し上げます。