東京外かく環状道路開通

 平成30年6月2日東京外かく環状道路が開通いたしました。
 外環道路の歴史は約半世紀前にさかのぼります。高度経済成長期、人口や産業等が高密度に集まる首都圏では、慢性的な交通渋滞によって、都市機能が著しく低下している状況にありました。こうした背景の中、1963年(昭和38年)に、首都圏の道路交通の骨格として3環状9放射のネットワークが計画されました。外環は東京都心から約15㎞の圏内を環状に結ぶ延長85㎞の道路として構想され、千葉県松戸市から市川市にかけての千葉区間は、1969年(昭和44年)に都市計画決定し、翌年に事業化されました。
―1960年代頃から急速に発展したモータリゼーションによる自動車の利便性・生活水準の向上等により、国内の乗用車保有台数は1989年(平成元年)には3,000万台を突破し、20年前の約6倍に急増したため、首都圏では交通渋滞が慢性化していきました。
 ところが都市計画決定後の1971年(昭和46年)から翌年にかけて、計画ルートが住宅の密集地・文教施設が多い場所を通過し、交通公害によって生活環境が破壊されること等を理由に、市川市議会、松戸市議会、千葉県議会において、計画の凍結、再検討や建設反対の請願が採択され、約7.3万人分の建設反対の署名が千葉県議会に提出されるなど、地域から計画受け入れ反対の声が上がりました。こうした状況の中、1973年(昭和48年)当時の建設大臣が衆院建設委員会において「県、市、住民が反対なら一時やめるべき」と答弁し、事業は凍結、再検討に向かって動き出しました。
―当初の計画は高速道路部が高架構造となっていました。当時は公害や環境破壊が全国的な社会問題になりつつあったこともあり、地域からは多くの通過車両による大気汚染・騒音・日照などの公害、街の景観や自然への影響、道路による市内の分断、多くの市民の立ち退き等を懸念する声が多く挙がりました。
 1987年(昭和62年)12月、市川市議会に設置された外環道路対策特別委員会(現外環道路特別委員会)は外環のルートや構造、環境などについて議論する場として、委員長、副委員長以下11名の市議会議員により構成されています。(ちなみに現副委員長は私ほそだ伸一が務めております)。委員会は2016年(平成28年度)末までに207回開催され外環に関する様々な議論が行われてきました。
 その後長きにわたる議論の末、千葉県による都市計画変更や、環境影響評価の手続きが実施され、1996年(平成8年)に現在の計画に変更となり、本事業の実現に向け大きく前進することとなりました。
 このように紆余曲折を経て開通した外環道路には大きく分けて4つの整備効果があります。
《走行時間の短縮》
 外環を利用することにより、各地への移動時間が大幅に短縮され、また、経路選択の幅が広がることで地域間の移動性が向上します。例えば高谷JCT(湾岸道に接続する箇所)から三郷JCTまでは開通前43分→17分、同じく川口JCTまでは54分→28分とそれぞれ26分づつの短縮となります。
《交通環境の改善》
 これまで市内の県道に進入していた車両が軽減され、スムーズな移動ができるようになります。また渋滞の抜け道として狭い生活道路や通学路等に入り込んでいた車両も減少し、安心して通行できるようになります。確かに街中を走る大型車が減った気がします。
《防災空間としての機能》
 周辺地域に火災が発生した場合に、より速やかな救助活動が可能となります。また、60mある広い道路幅は火災の延焼防止にも役立ちます。さらに、首都直下地震など大規模災害の際には、遠方から応援が駆けつけるルートにもなり、沿線地域での迅速な復旧や救援活動が可能となります。
《新しい都市空間の創出》
 地上の国道の両側にある延長約12.1㎞の環境施設帯には、歩道、自転車道、植樹帯などが整備され、ウォーキングやサイクリングも楽しめる新しい都市空間が創出されます。
また、環境施設帯の地下には電気・通信・ガス・上下水道などライフラインが収容されます。市川市内では大雨のあと市内が冠水することがありましたが、環境施設帯の中で新しい排水路設置することで、被害を大幅に軽減することができます。

 成熟した車社会を迎えたいま、道路整備は、事故のない安心安全な市民生活のためにたいへん重要な生活インフラです。

 事業にご理解・ご協力いただいた地域の皆様、関係者の皆様に心より感謝いたします。