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8月を振り返って

8月もとにかく暑かった。各地で猛威をふるっている豪雨により被災された方々にはお悔やみ申し上げます。

先月終戦ならぬ敗戦にちなんで私の祖父の話を少し綴りましたが、思いのほか好評で高い反響をいただきました。そこでもう少しだけ祖父の思い出話をさせていただくことにします。

赤道近くを輸送船で航行中のこといつもの「敵機襲来」。すぐ戦闘態勢に入るが何しろこちらは輸送船で迎撃できるものは兵隊が持っている拳銃のみ。(本来輸送船は攻撃対象に入っていない)。相手は機銃掃射しながら時速400キロメートルで真上を飛んでゆく。拳銃で撃ったところでどうしようもないのだ。祖父の上官が、「ほそだ(祖父の名字)俺に続け」と檄が飛んでくる。上官について船の甲板をかけているとそこへまた機銃掃射。祖父の前を走っていた上官の目から頭部にかけて機銃掃射の破片が貫通し即死。機銃掃射の威力は相当なもので命中しなくてもその破片を浴びせるだけで相手の戦闘力を奪えるのだ。上官を助ける間もなく祖父は食料として積んである昆布が詰まった大きな箱に飛び込んだ。これが不幸中の幸い。後で聞いた話だが当時輸送船の多くは昆布を貯蔵庫ではなく甲板に出していたらしい。昆布はゴムほどの弾力を持ち飛んでくる破片くらいは防御できるのだ、と。

さて今日は9月1日、90年前関東一円を巨大な揺れが襲った、関東大震災だ。しかしこの1世紀よくこれだけの災害人災が起こったものだと思う。また祖父の思い出話になってしまうが、祖父は震災当時尋常小学校5~6年生、近所のおじさんが囲碁をやりに自宅へ遊びに来ていたという。その時揺れが起こった。余震などではなくいきなり直下型のたて揺れで目の前の碁盤の石が祖父の頭の上まで飛び跳ねたらしい。あとは一目散で逃げるのみ。当時祖父の自宅は深川にあり年中永代橋から隅田川に飛び込んで遊んでいたらしいが、その隅田川が両岸から燃え上がる火災であおられ熱湯のようになり、水を求めて川に入った人はほとんど亡くなってしまったのだ。火の手のないところをさがし命からがら逃げるが途中は死体の山、何とか上野公園までたどりつくがそのあと数日間にわたり何度も大きな揺れが襲ってきた。私の祖母も当時5歳で上野公園に逃げたというから業火に包まれながらもすでに祖父母は縁が出来上がっていたということか。

よく聞かせれたなぁ、なんでもっとよく聞かなかったのだろう、悔やまれてならない。震災や何年にもわたる戦争を敗戦を一生で経験しているのだ。強いわけだ。