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	<title>市川市議会議員 ほそだ伸一 オフィシャルブログ</title>
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	<description>あしたの市川、あさっての市川を支えたい。</description>
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		<title>皇紀2684年　辰年</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Jan 2024 08:19:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[明けましておめでとうございます。 令和6年、皇紀2684年の今年は辰年です。 そして来年の3月には早いもので私自身も一回りして還暦になります。 正直言って60年（まだ59年ですが）も生きてきたという実感はまるでありません [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>明けましておめでとうございます。<br />
令和6年、皇紀2684年の今年は辰年です。<br />
そして来年の3月には早いもので私自身も一回りして還暦になります。<br />
正直言って60年（まだ59年ですが）も生きてきたという実感はまるでありません。このように感じている同輩、先輩諸兄のみなさまは多いのではないでしょうか。</p>
<p>私が子供のころは、年末から年明けての３日間はなにやら特別な時間でした。<br />
我が家は肉屋だったのでクリスマスから年末までがそれこそ寝る間もないほど忙しく、中学生くらいの頃からか、夜は肉の脂で汚れたパイレシー（肉の保存用の入れ物）やたたみ一畳ほどもあるでっかくて重たい脂がしみ込んだまな板や肉の塊を薄く切るスライサーなどを洗いに行ってました。<br />
二葉肉店（実家の屋号）は父の方針で、スーパーや駅ビルなどでは売っていない比較的高級な肉を扱ったいたので、年末くらいはいいお肉を食べようというお客様の気分的な後押しもあり、朝早くから夜中まで大忙しでした。特に年末の２日間は忙しく家族総出で動き回り、大晦日の帰宅は夜中の０時近くでした。<br />
疲れ切った両親と一緒にNHKのゆく年くる年を見るのが恒例でした。なので家族で紅白歌合戦を見たことは一度もありません。<br />
そして迎えるお正月。<br />
祖母手作りのおせちと大量の肉の切れ端（笑）、筑前煮などが名前入りの祝箸とともにテーブルの上にきれいに並び、お屠蘇の徳利やお猪口も普段は食器棚にしまってある絵柄のついたものが並べられていました。わが家は明治生まれの祖父もおりましたので一年のうちにいわゆる「昔」を感じる節目が何回かありました。<br />
また、当時は、地元の商店や市川駅シャポー（駅ビル）などは三が日はお休みで、まちなかがとても静まりかえってました。<br />
あの怒涛の暮れの忙しさからはまるで対照的なゆったりとした時間の流れ。これが私のお正月です。</p>
<p>ところが最近は、新年を迎えてもあまり特別な感じがしません。<br />
職業柄一年のところどころに様々な団体の式典や記念行事、それらに付随する宴会も多々あるので、節目というものを感じにくくなってしまっています。<br />
たしかに4年に一度の選挙は大きな節目ではありますが（笑）<br />
いや、むしろ年が変わるということは、こちらも年を取ることだし果たしておめでたいことなのだろうかなどと世捨て人のような発想をすることすらたまにあります。<br />
とはいえ、60年近くこうしてなんとか大病もせず元気で新しい年を迎えられるのも、日ごろからお世話になっている皆様、身近なところで応援してくれている方々のお陰と心から感謝しております。<br />
特に、私の健康を考え、「今日はノンアルしなさいよ」やかましくいいながらも、栄養バランスの調った食事を作ってくれている方には、感謝の言葉が見つかりません。ただただ頭が下がります。</p>
<p>さて、私の住む市川市は、今年で市政施行90年という節目を迎えます。<br />
現在90歳の方と同じく昭和9年11月3日に市川市は誕生いたしました。<br />
そのころ生まれた方は小学校の卒業を迎えるのは12歳のころ。ところがこの年は戦禍も激しい昭和20年、戦時下のため卒業式を執り行えなかった学校が多くあります。事実市川市内でも卒業証書を受け取れなかった方が1800名います。<br />
市政施行90年を迎える今年の11月3日の前日11月2日に、卒業証書を受け取れなかった方に、教育長から卒業証書の授与式が行われる予定です。<br />
実は、この件については2年ほど前私が本会議で質問したことです。それを受けてのことかどうかわかりませんが、誰も取り残さない社会、寄り添える社会の実現の一環として、とても良い試みだと評価したいと思います。</p>
<p>｛たまごを割らなければオムレツはつくれない｝というフランスの諺は、当然に行わなければならない行為を行わなければ期待する結果は得られない。という意味の例えです。<br />
私も自身への自戒を込め、誰も取り残さない社会、一人一人に寄り添える市川市になるよう、これからもこれまで以上に果敢に行動してまいります。</p>
<p>本一年、どうぞよろしくお願い申し上げます。</p>
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		<title>2023選挙備忘録</title>
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		<pubDate>Tue, 02 May 2023 02:41:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[みなさまこんにちは。 2023年4月23日に執行された市川市議会議員選挙に当選することができました。 ご支援応援していただきましたみなさま、誠にありがとうございました。 　今回は、千葉5区の衆議院議員の辞職に伴い、衆院補 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>みなさまこんにちは。<br />
2023年4月23日に執行された市川市議会議員選挙に当選することができました。<br />
ご支援応援していただきましたみなさま、誠にありがとうございました。</p>
<p>　今回は、千葉5区の衆議院議員の辞職に伴い、衆院補欠選挙も同時に執行されるという非常に珍しい選挙となりました。<br />
補選の投票率は38.25％と決して高くはなかったものの、立候補者には女性や若手が多かったせいか、無党派層の支持が伸びたのではないかと感じます。<br />
その影響というか効果で、市川市議会議員選挙もいつもよりやや高めの37.59％の投票率となりました。<br />
　選挙期間そのものは7日間とそれほど長くはありませんが、どの候補者も勝利に向かって朝から晩まで喋りっぱなしの動きっぱなしで汗をかきながら声をからしながら選挙区中を動き回るのが選挙です。<br />
　一日中駅前で演説したり、まちなかを歩き回っていると、多くの方に声を掛けられ、中には40年以上ぶりに会う小中学校時代の同級生もいました。<br />
　頑張ってね、応援してるよ、などあたたかいひと言のほかに、市に対する相談や要望、また、政治家に対する厳しい意見をぶつけてくる方も少なくありません。<br />
　「タクシーやバスの運転手が利用できるトイレをロータリーに設置してほしい」<br />
　「JR本八幡、市川駅にホームドアを設置しろ」<br />
　「市川シャポー東側（本八幡より）出口と駐車場の間に信号を設置すべきだ」<br />
　「江戸川の護岸整備を早くやれ」<br />
　「国道を通る市川～本八幡の路線バスを開通してほしい」<br />
　「公立学校の耐震化率はどうなっているのか」<br />
　「自民党はだらしない」等々、数え上げたら切りがありません。<br />
　いただいたご意見、ご要望は定例会（議会）での質問や日々の議員活動を通して確実に対応することをお約束いたします。<br />
　<br />
　さて、話を戻して、ここで今回の選挙について一方的かつ個人的な見地から私自身の結果について振り返ってみたいと思います。<br />
前回2019年の時の得票は3856票で今回が3535票ですから、投票率が上がったにもかかわらず321票落ちてしまいました。<br />
通常であれば、この点においては大きな課題を残したことになります。<br />
　今回の市川市議会議員選挙には、42議席に対して65名の方が立候補するなど、稀にみる混戦激戦となりました。<br />
　私の地元を見てみると、PTA会長を歴任された女性候補者（当選）や31歳の元気いっぱいの若手新人男性、地元大手企業が後援につき自治会等でも活動されている壮年男性、その他男性1名と計4名の新人の方が立候補しました。私が生まれ育った市川～本八幡の南側、新田、平田、大和田の地区で先の有力な4人の候補者と30～40％選挙区が被っていたわけです。4人の方々は政党には入ってない無所属で立候補していますから、ご自身の得票の約7～8割は地元から得ていると考えられます。<br />
　4人の得票の合計は6007票。その70％の4204票を先述の南側（私の地元）から得たのことになります。そして被さっている地域が30％だとすると約1261票が私の持っていた浮動票（投票する候補者が一定でない有権者票）から失われたといっていいでしょう。少なめに見て20％だとしても約840票が失われたといえます。<br />
　これを前回の得票から引くと、単純計算ですが、今回の私の得票は3015票以下になったとしても不思議ではありません。さらに、補欠選挙の主たる原因となった政治と金の問題や社会的要因等、自民党には逆風の選挙でした。SNSを全く活用しない議員が大きく票を伸ばした一方、毎日のようにSNSに投稿しているにもかかわらず大きく票を下げた議員、また、5名の現職議員が落選したりと選挙というものは何がどのように影響するのか明確にはわかりません。そのような中、選挙の中で最も難しい選挙といわれている市議会議員選挙において3535票を得票できたことは、偏に地元のみなさま、これまで私を応援し続けてくださる支援者のみなさま、陰日向に応援してくださる方々みんなのお陰に他ならないでしょう。あらためて感謝申し上げます。</p>
<p>コロナに悩まされた4年間でしたが、私ほそだ伸一は、これからも、市民相談対応100％で市政に取り組み、市民の生活と暮らしを守ってまいります。</p>
<p>今後ともほそだ伸一をよろしくお願い申し上げます。</p>
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		<title>皇紀2683年　癸卯</title>
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		<pubDate>Tue, 03 Jan 2023 01:40:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[みなさま　明けましておめでとうございます。 　　2023年（皇紀2683年）はウサギ年です。 年が新しくなり、元旦からの数日間はその年の干支に因んだ挨拶をする方も多いことでしょう。 私も、その年の干支にまつわる話題をまく [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>みなさま　明けましておめでとうございます。</p>
<p>　　2023年（皇紀2683年）はウサギ年です。<br />
年が新しくなり、元旦からの数日間はその年の干支に因んだ挨拶をする方も多いことでしょう。<br />
私も、その年の干支にまつわる話題をまくらに今日はどのような挨拶にしようかあれこれ考えたりします。<br />
ウサギはその容姿から毛のモフモフ感もありなんとも可愛らしい動物だと誰もが思うでしょう。<br />
ところが、このウサギについての諺や表現を調べてみるとあまりいいものが見つかりません。<br />
「脱兎の勢い」などは勢いよく逃げるさまを表現するものですし、「ウサギに祭文」などは「馬の耳に念仏」のように、ありがたい意見や忠告をしてもあまり効果がないという意味です。その他、「二兎を追うものは一兎も得ず」や「うさぎの昼寝」などは人の欲や怠惰を指摘した表現で、子どもでも知っている言い回しです。<br />
また、日本最古の歴史書『古事記』で有名な「因幡の白ウサギ」には、サメをだましたウサギが皮を剥がされてひどい目に遭う様子が描かれていますが、皮を剥がすサメも悪いけれどもサメをだますウサギも悪い。いずれにしても新年の挨拶にはふさわしくないように思えます。</p>
<p>　　実は、ということの程ではありませんが、「ウサギ」ときいて私が思い出す話がいくつかあります。<br />
2000年初めの頃でしょうか、仕事の関係でよくスペインを訪れていたことがあります。とあるレストランで友人が注文した料理を、これ何の料理かわかる？と別の友人が私に聞いてきました。味は鶏肉のようにさっぱりしていて、白ワインソースによく合う、とても食べやすい食感でしたが何の料理なのかはわかりませんでした。その美味しい料理は、ウサギの丸ごとグリルだったのです。現地の友人たちは、日本人の私を驚かそうとわざとウサギ料理を注文したようですが、肉屋の息子である私があまり驚かず、むしろうまいうまいと連発しながらお皿を平らげてしまったことに逆に驚いたようです。</p>
<p>　　もうひとつの話は、母のことです。私の母は小太りの見た目とは異なり、肉料理を食べません。東京生まれの母は、戦禍の昭和20年（1945年）に山梨県の笹子というところに母の実母、その弟夫婦とともに疎開しました。疎開といっても当時は閉鎖的な土地柄ですから、まちなかに住むわけにもいかず、人里から離れた山の中で簡易な居を構え、自給自足の生活を始めたわけです。野菜やコメはたまにご近所からいただくもこともあったようですが、しばらくしてから極度のタンパク質不足に陥り視力や体力が著しく低下するなど、家族の体調に異変が出始めました。どうしたらタンパク質を補えるかと兵役帰りのおじさんが思案した結果、繁殖力の強いウサギを飼うことにしました。おじさんの繁殖計画は見事に成功し、家族分のタンパク質の確保はできたようです。ある時、食事の用意のためおじさんがウサギをつぶそう（殺す）としたところおじさんの後を当時8歳の母がてくてくと裏庭までついていきました。ヨリコ（母の名前）、来るんじゃない、とおじさんに叱られたものの、母は興味本位だったのかそのままついていき、おじさんがウサギを仕留めるところを見てしまったのです。以来、母は肉が食べられなくなってしまったということです。しかし、その母が肉屋のおかみさんとして約半世紀にわたり商売を続けたわけですからなんとも奇妙なものです。</p>
<p>　　私なりの「ウサギ」にまつわる他愛もない話を披露しましたが、一方、江戸時代から干支にちなんだ縁起物の商品はよく売れたようです。<br />
最近では、特にウサギ関連の卯年グッズの需要は高く、愛好家の間では、ウサギ関連にお金を費やすことを「う散財」と呼ぶそうです。コロナや戦争、物価高等で世界的閉塞感が依然として漂う中、雪の中を飛び跳ねる元気なウサギのように飛躍の年になることを心から願います。</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　令和五年　元旦　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　細田伸一</p>
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		<title>総合商社的な在り方</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Oct 2021 01:37:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[　　総合商社といえば、私の場合は、M商事やM物産、I忠、M紅等その他数社日本を代表する大手商社を連想する。しかし、一方で、複数の不祥事や週刊誌ネタにされてしまう政治家さんのことを疑惑の総合商社などと国会で騒ぎ立てている人 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>　　総合商社といえば、私の場合は、M商事やM物産、I忠、M紅等その他数社日本を代表する大手商社を連想する。しかし、一方で、複数の不祥事や週刊誌ネタにされてしまう政治家さんのことを疑惑の総合商社などと国会で騒ぎ立てている人もいたので、こちらを連想する人もいるかもしれない。長年にわたり日本経済、いや世界経済か、に貢献している総合商社もいい迷惑である。<br />
　　総合商社というのは、あえて説明の必要はないと思うが、ある特定の分野に特化した専門商社に対し、多岐にわたる幅広い商品、サービスを行う広義の意味の卸売業で、これは日本特有の形態で、海外では「Sogo shosha」と表記される場合もあるらしい。もっと平たく言えば何でも扱う会社ということだろうか。<br />
　　少し前から感じていたことではあるが、これからはこのいわゆる”なんでも屋さん”的な形態が必要とされるのではないだろうか。さらに言うなら、かなりの高いレベルのクオリティで提供できるなんでも屋さん。<br />
　　私が子供のころ、昭和40～50年代にかけては、町なかでも専門的な商売が多かった。私の実家も専門の肉屋であったように、魚屋、八百屋、花屋、包丁屋、畳屋、お菓子屋、パン屋、食堂等々我々の生活になくてはならない必需品を扱うお店がそれぞれ個別に店を構え、その集合体が地域の商店街を形成していた。<br />
　　地域によって時間的な差はあるだろうが、私の住むここ市川市も駅前の再開発に伴い安売りをうたう大手スーパーを誘致し、また、他の同業者もそれに追随して出店したため、安売りスーパーの戦国時代へと突入していった。たしかに雨風にさらされず一つの場所で食卓にのせる食材がすべて安価で手に入れられるのは消費者にとってはとても便利で魅力的なことでついつい消費意欲もそそられるというものだ。対して、それまで住民の生活を支えてきた地元の”専門商店”は大打撃だった。<br />
　　別にここで商売の栄枯盛衰を分析するつもりはないし、また、その善悪功罪を問うつもりもさらさない。まぁいうなれば時代の移り変わりということかもしれない。おそらくそうであろうことは以来今までの約30年を見てみればわかると思う。</p>
<p>　　最近、よく電器量販店に行く。市川駅から電車で20分も乗れば、雨風を全く気にすることもなしに秋葉原の駅に隣接している巨大量販店に到着する。電気量販店といっても、各階別にスマホ、PC、ステレオ、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、テレビ、美容用品、時計、文房具、模型、ドローン等々どの分野においても最新式のものが所せましどころか広いフロアにありとあらゆる新製品がそれこそたくさん整然と並んでいる。土日休日ともなれば、各階老若男女で混み合い、客からの質問にスタッフの対応が追い付かないほどの盛況ぶりである。学生の頃御茶ノ水にある学校の行きかえりに秋葉原の電気街をよくうろついて、当時ステレオに関心のあった私は、スピーカーの専門店やCD、また到底手の届かない車一台分もするようなアンプからの音源を聞き比べたりしていたものだった。それはそれで楽しい思い出だが、秋葉原の再開発に伴ってできたその”電器量販店”はそのような専門のお店や商品を分野別にしかも高い次元で一か所に集約し再現している。旧電気街が再開発されると聞いたときは一抹の寂しさを感じもしたが、破壊と創造を体現したようにみごとに秋葉原は今風に変身したとおもう。<br />
　　では別の業種はどうか、たとえば回転ずし。目の前で、皿ごとに違うネタをのせたスシが回るのは奇抜だったし値段も100円、120円でスシという高級食材をぐっと庶民の手元に引き寄せたのが回転スシだった。当初は、ネタそのものの旨さよりも気軽さとエンタメ感が受け一世を風靡したものだが、競合店の参入などで回転スシは淘汰が始まる。そこへ出てきたのが大店舗による回転スシだ。店舗の1階に駐車場、2階に店舗という具合に家賃の高い首都圏でも大人数のお客様に対応できるように工夫している。そしてなにより工夫しているのがネタだ。それまでのスシといえば海で捕れる魚のネタがほとんどだった。ところがここ最近は、唐揚げやラーメン、ローストビーフやエビフライのにぎり、茶わん蒸しにお子様ランチ、デザート、コーヒー、おもちゃ等々、あらゆる世代のお客様が楽しめる品ぞろえが普通になっている。さらに、きれいな画像付きのタッチパネルを各テーブルに備えてあるので小中学生の子どもたちと行ってもエンタメ性は健在である。むしろ文字と値札だけよりもわかりやすいし親切である。加えて大手回転スシチェーンのなかにはネタの鮮度や醤油、シャリに相当のこだわりを持っているところもあり、回転スシ＝安かろうまずかろうという概念を見事に払しょくした。実際、私も札幌や金沢でそれぞれ異なるチェーン店の回転スシをいただいたことがあったがネタは新鮮でとてもうまかった。市場規模も1兆円に近いといわれる回転スシ業界は、創意工夫を重ね昨今のコロナ禍にもかかわらず伸び続けているのである。</p>
<p>　　　さて、縷々述べた来たけれども、すべてがすべてそうだとは限らないが、やはりこれからは総合的に何かを高い次元で提供することが企業にとって求められる要素であるのは間違いないことだと思う。人にしたっておそらく同じことがいえるかもしれない。一昔前は歌って踊れるなんて肩書で受けているタレントさんがいたが今はそんなのは当たり前で容姿もよくて人を笑わせる機転の利くマルチ型ではないと生き残れないだろう。でもそれは、我々一般人も同じだ。就職や転職にしても資格のひとつふたつは今や当たり前だ。資格の有無はともかくとしても、その人が周りから求められたことを高いレベルであるいは高品質で何かを提供あるいは再現できる。そんな資格というよりもその人独自の固有の能力を持った総合評価の高い人間がこれからの社会には必要とされるのかもしれない。</p>
<p>　</p>
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		<title>新型コロナ観察記③不公平感</title>
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		<pubDate>Thu, 03 Jun 2021 08:18:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[　　今となってはありふれた言い方ではあるが、新型コロナウィルス（以下コロナ）にふりまわされた一年だと思う。かれこれもう一年半か。ちょうど昨年の今頃はオリンピックが延期になろうという時で、国も関係者も来年の2021の開催に [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>　　今となってはありふれた言い方ではあるが、新型コロナウィルス（以下コロナ）にふりまわされた一年だと思う。かれこれもう一年半か。ちょうど昨年の今頃はオリンピックが延期になろうという時で、国も関係者も来年の2021の開催に向けて仕切り直しをしたところだった。ところがコロナは全く衰えをみせず、冬になっても猛威をふるい感染者数は増える一方、さらには、最近になってイギリス型やインド型の変異株やその二つを合体させた変異種のベトナム型までも出現し人々から日常を奪っている。<br />
　　この間、我々地方議員も議会の在り方を変えざるを得なかった。これまで市議会議事堂に議員42名が全員出席のもと開催していた年4回の定例会も、議事堂への出席者数を過半数の23～24名に減らし、また、質問時間や質問者数を制限しながら極力感染するリスクを減らそうとできる限りの努力をしてきてはいる。「感染しないさせない」を合言葉にしたその効果かどうかはわからないが、議員内においてのクラスターは発生していないし、定例会や委員会を中止にすることもないのは幸いだと思う。<br />
　　さて、私個人はというと、世がコロナに見舞われてから多くの行事や集会、演説活動等の政治的な活動が大きく制限され、それに伴い市民との接触の機会が激減した。正直言えば、早朝や夜の活動を自粛した分からだは少し楽になったが、一方で市民からの電話による相談事が明らかに増えてきた。一年前は、国からの給付金が出るか出ないかの時期で、とくに苦境にあえぐ飲食店関係者からの恨み節が大半だった気がする。しかし、その恨み節も最近は昨年末から政府が実施している時短要請協力金（以下協力金）のおかげで全く聞こえなくなった。一日当たり6万円を補償するというこの協力金だが、内閣官房のコロナ対策室によれば、協力金は時短要請に対するもので、経済補償が目的ではないとのことだ。あくまで感染防止が目的で、苦境の飲食店を救済するための支援ではないという説明だ。飲食店での会話が感染を広げている可能性が高いので、その協力に対する奨励金、つまり「ご褒美」であり、「補償」ではないということらしい。　実際、この協力金で助かっている飲食店は多いわけで、営業も継続できるわけだし、「協力金バブル」などという新語も登場しているくらいだから、経済支援ではないという対策室担当者の説明には苦しいものがある。<br />
　　このありがたい「協力金」だが、先月あたりから、あらたな恨み節が聞こえてきた。スタッフ、従業員を何名もかかえ100㎡以上の面積で営業をしている店舗からである。私も以前、数人のスタッフを雇い、駅近の75㎡の店舗でレストランを営業していたことがあるので、逆風時における事業継続の厳しさは多少知ってるつもりだ。<br />
　簡単に言えば、この協力金は、一日あたり6万円以上の売り上げのある事業者にとってはけっしてご褒美でもなく補償でもないので、一律同額支給というのは私の経験上良策とは思えない。そこで、なぜ政府が一律6万円という金額をはじき出したのか私なりに考えてみた。<br />
　　あくまでも一つの見方として、全国には飲食店という業種で事業を行っている事業所が57～65万か所（店舗）あるといわれており、全体の市場規模（2019年）は20兆円弱というかなり大きな規模だ。ただし、この中には、立ち食いソバや居酒屋、料亭、バー、キャバクラなども含まれ、また統計を取る主体によっても数値が多少異なるため、自分の見た資料とは違うなどとは言わず、この点についてはご容赦願いたい。<br />
　　仮に、わかりやすく60万事業所とする。そして、この60万の事業所に一日当たり6万円を補償したとする。すると、60万×60,000円＝360億円。×30日間＝1兆800億円/月。つまり、日本全国の店舗に一律6万円補償したとしても、飲食店全体の売り上げを補償するよりは政府の財政負担ははるかに少なくてすむ。さらに、うがった見方をすれば、全飲食店のうち80％の約50万店舗は一日の売り上げがそれほど多くはない小規模店舗であるため、6万円の補償である程度は不満を解消することができる。<br />
　　これはあくまでも私見であるとお断りしておくけれども、もし、政府がこのような見方をしているのであれば的外れな策であるといわざるを得ない。<br />
　　いまどき税務署に行けば、事業者の名前、納税者番号、営業所の名称などのどれかを目の前のタイプでたたけば納税者の売り上げ、利益、納税額などは一目瞭然わずか数秒で確認できる。このデータをもとに年間利益を算出し、日割り計算するなどして、その事業規模に合った協力金を補償すればいいと思う。個々の事業者さんは自分が申告した利益をもらえるわけだから大喜びはできなくても恨むことはないだろうし、事業規模を無視した不公平感も生まれないと思う。ただ問題は、税務署と政府の政策の地元の窓口である市役所のような自治体とが、即効性をもってPCデータのやり取りをできる環境を持ち合わせているかどうかである。<br />
　　ワクチン接種の予約においても、各自治体は混乱し、50人体制のコールセンターはパンク寸前、デジタル技術なくしては、予約を取るという普通の生活行為すらままならぬといっても言い過ぎではない社会になってきている。いざという時のために、すでにいざという時は来ているが、国が先端テクノロジーを積極的に取り入れ、国内1,800以上の自治体に速やかに浸透させ、国民誰一人もとり残さないこと。これが今回のコロナ災害が教えてくれた教訓のひとつである。</p>
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		<title>皇紀2681年　辛丑</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Jan 2021 03:36:48 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[みなさま明けましておめでとうございます。 　　昨年は新型コロナウィルス（武漢ウィルス）により世界中からそれまでの平穏な日常とそして多くの尊い命が奪われた一年でした。残念ながら、依然としてその収束の目途はつかず、より感染力 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>みなさま明けましておめでとうございます。<br />
　　昨年は新型コロナウィルス（武漢ウィルス）により世界中からそれまでの平穏な日常とそして多くの尊い命が奪われた一年でした。残念ながら、依然としてその収束の目途はつかず、より感染力の強い変異種までもが発見されており、我々人類は当面の間、目に見えないウィルスとの共存を余儀なくされることになりそうです。今から100年後200年後から今の時代を振り返った時に、令和2年以降の数年間は、人類とウィルスとの闘いの記憶として間違いなく歴史に刻まれることでしょう。<br />
　　我が日本国を取り巻く環境も年々厳しさを増してきており、国際情勢や国内の政治情勢も厳しいかじ取りが続きそうです。<br />
　　<br />
　　本年の干支は「丑」です。「丑」という字は、手の指を曲げて物を握る様子を表しており、「つかむ」という意味があるそうです。また、「牛」は近代化以前の日本の農業に欠かせない動物であり、過酷な農作業も地道に最後までこなすことから、丑年は粘り強さや堅実さを表す年とも言われているようです。</p>
<p>　　干支といえば、私の両親は二人とも丑年の生まれです。父は昭和12年3月、母は同年5月で二人とも今年で84歳になります。<br />
父は群馬の甘楽郡という山間の育ちで9人兄弟の7番目、実家は牛の飼育と養蚕業、多少の畑仕事で生計を立てていたので裕福ではなかったものの食べることには困らなかったようです。15歳で東京に出てきて以来食肉業一筋。心臓病のため74歳で引退するまで、まさに牛のように働いてきた人でした。<br />
　　一方、母は東京は中野の生まれで、父親は東京都（当時は東京市）の消防署職員でしたが、母が5歳の時に召集され昭和20年8月10日南方のビルマで戦死しました。母親は、都内の空襲がひどくなってきたため、まだ幼かった私の母を連れ山梨県の笹子というまちに疎開し、炭を焼いたり、借り受けた畑を耕したりして生計を立てていましたが、もともと体の弱かった母親は疎開先の笹子の地で昭和20年10月に病死してしまいました。<br />
　　この時点でいわゆる戦争孤児となった母は、失意のどん底、悲しみに暮れるところでしょうが、まだ8歳で幼かったことや、また、時代がそうさせなかったのか母親の弟夫婦とともに心機一転生活をはじめて、知人の伝手で市川市に転居し、素人ながらも器用だった叔父さん（弟さん）が食肉販売業を始めて生活の基盤を整えたのでした。<br />
　　昭和38年、両親ともに26歳の時に結婚、40年には私伸一が長男として、42年には啓二、44年には長女になる久美がそれぞれ生を受け、それから半世紀にわたり、両親は、子供3人を育てるため、まさに、農耕馬いや農耕牛のように朝から晩まで働きました。</p>
<p>　　長生きの節目は、満60歳の還暦から始まり、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿、百寿等々いくつもありますが、84歳を祝う「はし寿」というのもあるようです。<br />
　「８」と「４」で「はし」の語呂合わせのようですが、言いえて妙なものです。<br />
私も、3月で56歳となるわけでもう4年もたてば還暦。光陰矢の如しです。父は大病したとはいえ、両親ともに何とか頑張っているので、はし寿のお祝いもかねて、そろそろ新年の挨拶に行ってこようと思います。</p>
<p>　　冒頭でも申し上げました通り、暫くは非日常生活を続けざるを得ませんが、今年一年、市民からの相談には100％対応することをお誓いするとともに、市民一人一人のご健勝、ご多幸を心より祈念申し上げ新年の挨拶とさせていただきます。</p>
<p>　　本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。<br />
　　</p>
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		<title>新型コロナ観察日記②稲の花</title>
		<link>http://hosodashinichi.com/news/?p=680</link>
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		<pubDate>Mon, 26 Oct 2020 06:10:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
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		<description><![CDATA[コロナ禍で外出外食の機会がかなり減った私ですが、その分お米を食べる量が増えてきているような気がします。いや、確実に増えています。 アジアの各地域やインドのカレー、スペインのパエリャにみられるように、お米は世界中の食文化に [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>コロナ禍で外出外食の機会がかなり減った私ですが、その分お米を食べる量が増えてきているような気がします。いや、確実に増えています。<br />
アジアの各地域やインドのカレー、スペインのパエリャにみられるように、お米は世界中の食文化に登場し、長きにわたり、その地域の人たちの貴重なエネルギー減として食されてきています。しかし、お米そのものを単独で食べて「おいしい」と感じるお米はそれほど多くはないのではないのでしょうか。</p>
<p>今回は、私たちの食生活と健康を支えてきた、お米となかなか見ることのできない稲のお花について少しだけお話ししたいと思います。</p>
<p>春、田んぼに植えた稲は、生長が進むと、茎の中からやがてお米に変身する幼い穂が押し上がるようにして出てきます。これを出穂（しゅっすい）といいます。<br />
穂の先の方から稲の花が咲き始めます。花びらの無い花です。中からは6本のおしべが出ています。稲の花の咲いてる時間は短く、晴れた日の9時頃に咲き始め、11時頃には閉じてしまいます。この約２時間の間に受粉を終えます。<br />
おしべの根元をたどっていくと、そこには小さなめしべが見えます。めしべに付いた花粉は、すぐに花粉管を伸ばし受精を行い、受粉が終わると稲の花はすぐに閉じてしまい、もうその稲の花は２度と開くことはありません。<br />
稲の開花時期は品種によって違います。種まきから大体115～120日目頃。田植えから数えると、およそ50日後（早稲：わせ) から80日後（晩稲：おくて)に穂が出ます。<br />
稲を見た時に、穂先が少しでも曲がりかけた物はすでに開花が終わって実が太り始めたものです。<br />
１本の穂には、100個くらいの花が付いていて、穂先から順番に咲きます。開花時間は約2時間で、全部が咲き終わるまでに1週間程かかります。少しずつずれて花を咲かせるのは、子孫を確実に残すための自然の摂理で実に良く出来た仕組みです。開花の適温は約30℃で、開花期に低温になると花粉の受精能力が落ちて不稔籾(ふねんもみ)が多くなります。<br />
開花から約40～50日間に、光合成によりデンプンを生産し、胚乳(はいにゅう)に溜め、稲の種子であるお米を充実（登熟：とうじゅく)させていきますが、この期間を登熟期といいます。</p>
<p>稲は昼間、太陽の光で光合成を行います。登熟期に晴天が続くと、光合成が盛んに行われて、お米は美味しく実り、たくさん獲れます。人間にとっては厳しい暑さも、稲にとっては恵みとなります。</p>
<p>日が沈んで光合成ができなくなると、昼間に光合成で作ったブドウ糖を稲に送り込む、これを「転流(てんりゅう)」と言います。ただし、夜間の気温が高いと稲の呼吸が盛んになり、光合成で作ったブドウ糖を消費してしまいます。夜間は気温が低い方が良いわけです。お米作りには昼間は暑く、夜間は涼しいという天候が理想的とされているのはこのような理由からです。</p>
<p>　個人的な話ですが、私が食べているお米は栃木の黒羽という那須塩原駅からやや東側の地域産のもので、その収穫前の田んぼを数年前に案内していただいたことがあります。<br />
田んぼに着いて車から降りるや否や、あたり一面黄金色に輝く稲穂はそれはそれは見事なもので、またなんともいえないふんわりとしたとても柔らかい香りが漂っていたのを今でも鮮明に覚えています。ここのお米は、農薬や化学肥料などは一切使用していない、土が本来持っている力で育てる自然農法という栽培の方法だと聞きました。<br />
以来、私はここのお米を常食としており、さらに言えば、同じ農家さんの白米と玄米をそれぞれ半分ずつを混ぜ合わせたオリジナルブレンドでいただいてます。<br />
白米と玄米を合わせることで、白米の旨みと玄米の香ばしさを同時に味わうことができ、白米に不足しがちなビタミンやミネラルも摂ることができて栄養バランスにも優れています。さらに、自然農法でつくるこの農家さんお米は、粒のひとつひとつがしっかりとしているので、そのまま食べても味があるし、塩だけのおむすびでもお米の味がなお一層引き立ちます。また、お茶漬けやカレー、かつ丼などの丼ぶりもの、チャーハン、パエリャ、リゾットなど洋の東西を問わずあらゆる料理にもとてもよく合うのです。</p>
<p>　　私の嗜好の話はともかくとして、なかなか収束の兆しが見えないコロナ禍において、普段できないことをしてみる。あるいはこれまでやろうとしなかったことをやってみる。例えば、日々の忙しさにかまけてあまりにも普通に毎日口に運んでいたお米について少しだけ考えてみる。すると外食した時も、ここのお米はどこのお米なのか、自分ならもう少しかために炊くなぁとか、あるいはちょっといいお米を買ってきてこれまでのと食べ比べをするなど生活の中にいつもと違う流れを加えてみる。<br />
食を通して健全な食生活を実践できる人間を育てることを「食育」といいますが、同じように美育、花育という言葉も最近では唱えられているようです。</p>
<p>冒頭の、一年の限られたごくわずかな時間しか開かない稲の花について調べてみる。稲の花を観察することで作物に宿る生命を感じるし、生命を感じることでそのものを大切にしようという心も育まれるかもしれません。食べ物を大切にしようという食生活そのものや我々の健康、社会の健康、また昨今社会問題化しつつある食品ロスへの関心も高まるかもしれません。</p>
<p>開花時期はごく短時間でも、やがてたくさんの実をつけ多くの人々の食生活を支える稲のように、私も、行政にかかわる人間の一人として、市民一人ひとりの声に耳を傾け、地域の未来と市民の暮らしををしっかりと支えられる市政を行っていきたいと思うのです。</p>
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		<title>新型コロナ禍観察日記①</title>
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		<pubDate>Tue, 12 May 2020 03:09:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
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		<description><![CDATA[「新型コロナ」という言葉をはじめて聞いたのは2020年の年明け間もないころだったか、中国湖北省武漢で～という記事を新聞で見たのが最初だったと思う。それからしばらくして豪華クルーズ船の乗船客での集団感染が発覚し、横浜港に寄 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>  「新型コロナ」という言葉をはじめて聞いたのは2020年の年明け間もないころだったか、中国湖北省武漢で～という記事を新聞で見たのが最初だったと思う。それからしばらくして豪華クルーズ船の乗船客での集団感染が発覚し、横浜港に寄港したあたりから国内のテレビ、新聞、マスコミはその報道に多くの時間、紙面を割くようになったと記憶している。<br />
　一部の専門家を除いては、まさかあのコロナがここまで世界を混乱に陥らせるとは予想していなかっただろうし、私自身も恥ずかしながらその一人だった。いま無知を反省すると同時に人類とウィルスとの生存をかけた戦いの歴史にただただ驚いているのである。<br />
　テレビのニュース、情報番組では、毎日のように専門家らしい人たちが意見を述べるが、翌日にはまた別の専門家が別の意見を述べる。そのような意見交換会が各番組各時間ごとに繰り広げられ数日前の意見はあっという間にどこかに消し飛んでしまう。情報の受け取り側である専門外の私なぞは全く整理がつかないまま「コロナ禍」におののいている。そんな昨今、世界を覆っている「コロナ禍」をなるべく正しく理解しようとあれこれ目を通し自分なりに少し整理してみた。</p>
<p>まず、日本に新型コロナの患者さんがどれくらいいるのか考えてみる。<br />
厚生労働省のHPによれば、2020年5月10日時点の日本の感染者は延べ15,747人。ここから退院または療養解除になった8,293人、死亡数613人を減ずれば、現段階で感染状態にあるのは6,841人。<br />
しかし、専門家の中にも、実際にはこの10倍から20倍の患者がいてもおかしくないという意見もあるので多めに見積もって、仮に20倍とすると、日本には136,820人の感染状態の人がいるということになる。日本の人口は約1.265億人、924人に1人が感染状態にある可能性がある、ということだ。計算しやすくするために1,000人に1人が感染状態であると仮定。<br />
つまり、日本における新型コロナの「有病率」は0.1％（と仮定する）。<br />
PCR検査のみならず、一般に検査には精度の限界がある。<br />
病気の人を正しく病気であると診断できる確率を「感度」、病気でない人を正しく病気でないと診断できる確率を「特異度」。<br />
新型コロナのPCR検査の場合、感度は50～70％（ここでは70％で計算）、特異度は99％程度であると想定する。<br />
では、わが町千葉県市川市で市民全員にPCR検査を実施したと仮定する。<br />
市川市の人口は約49万人。有病率（0.1％）から計算すると、490人が感染者で、残る48万9,510人は感染者ではないことになる。</p>
<p>PCR検査の感度は70％、490人の感染者のうち343人は陽性。一方、147人は陽性にはならない。この人たちは感染しているのに検査結果は陰性になる。<br />
しかし、48万9,510人の感染していない人も全員が検査を受けている。PCR検査の特異度は99％だから、このうち1％（つまり4,895人）は病気でないにも関わらず陽性と診断されてしまう、ということになる。<br />
49万人の検査を実施して、結果が陽性になるのは、実際に感染している490人のうちの343人（感度70％）と、感染していない48万9,510 人のうちの4,895人（特異度99％）の合わせて5,238人。しかし、この中で実際に感染していたのは343人である。検査結果が陽性になった人のうち、わずか6.5％しか本当の感染者がいない、ということになる。<br />
つまり、市川市では、343人の感染者に加えて、実際にはコロナに感染していない4,895人も病院やホテルに2週間は隔離されることになる。場合によってはアビガンなどの副作用の強い薬が投与されるかもしれないし、その家族も濃厚接触者とされ自己隔離、職場の人や友人たちも不安な思いをしなければならないでしょう。そして自治体や国は、この4,895人分の隔離にかかる費用を負担しなければならない。<br />
※もし、特異度を99.9％まで高めることができたとしても、非感染者のうち0.1％の489人（0.1％の誤差）は陽性と診断される。実際に感染していて陽性になる人が343人ですから非感染者の陽性率のほうが高くなってしまうのだ。</p>
<p>  検査結果が陽性と出た人の実に90％以上が、実際には新型コロナに感染していないのにも関わらず隔離（入院や外出禁止）を強制され、その家族も濃厚接触者として扱われる。<br />
一方、新型コロナに感染しているにも関わらず、検査結果が陰性に出た30％の人たちは、きっと安心して行動制限を緩め、結果として感染を拡大させてしまう。<br />
さらに、大規模な検査を実施することで、迅速に検査しなければならない人の検査がなかなかできないということにもなりかねない。しかも、PCR検査はその時点での感染状態を調べるもの。今の状態はある程度わかるにしても、過去にどうであったのか、これからどうなるのかは全くわからないのだ。もし「感染していないことを確認したい」という安心感のために検査をするのであれば、定期的に再検査を続けなければならないし、そんなことをすれば、感染していないのに隔離されるケースが増えるばかりである。<br />
　そして、なによりも危険なのは、現在（H31.3.31）市川市内の病院数は13施設で病床数は3,132床、同じく診療所は314施設で125床。合計で3,257床しかない。もともと入院している患者さんの数を考えれば5,000人近い人を受け入れられる余裕などは到底なくまた医療スタッフ、医療器具の数も物理的に完全に不足することになる。つまり、またたく間に医療崩壊が起きてしまうということだ。</p>
<p>  有病率が10％（医師の判断）という前提で、先ほどと同様に計算をし直してみる。<br />
医師が必要と判断した1万人に検査を実施する場合、有病率は10％なので実際に感染している人は1000人、感染していない人が9000人となる。<br />
PCR検査の感度は70％、感染している1000人のうち、陽性になる人が700人、陰性になってしまう人が300人。<br />
一方、特異度は99％、感染していない9000人のうち、99％は陰性と診断され、1％（90人）は感染していないにも関わらず陽性になる。<br />
この検査で陽性と診断される人は、実際に感染している700人と感染していない90人、あわせて790人。うち、実際に感染しているのは700人なので、陽性と診断された人のうち、88.6％が実際の感染者ということになる。</p>
<p>  一般市民を対象に無作為に検査をすれば、陽性者のうち感染者の割合は6.5％となり、9割以上が感染者と誤診されてしまう。<br />
しかし、医師が選別してから検査を実施すれば、陽性者のなかの感染者の割合は88.6％となり、非感染者を、感染者として誤診する確率は大幅に減ることになる。<br />
上記のような試算から陽性適中率（今回の例でいえば6.5％⇒88.6％）は検査前確率（つまり有病率）が高ければ高いほど、高くなるということがわかる。<br />
ドライブスルーでやみくもに検査をするよりも、まずは医師に相談をしてから、と言われるのは、このような科学的な理由が根拠となっている。</p>
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		<title>令和2年元旦</title>
		<link>http://hosodashinichi.com/news/?p=671</link>
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		<pubDate>Tue, 31 Dec 2019 22:03:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
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		<description><![CDATA[明けましておめでとうございます。 令和になって初めての新年、謹んでお慶び申し上げます。 昨年は、新天皇ご即位に伴う御代替わり、元号も平成から令和となり、新しい時代の幕開けとなった誠におめでたい年でもありました。 スポーツ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>明けましておめでとうございます。<br />
令和になって初めての新年、謹んでお慶び申し上げます。<br />
昨年は、新天皇ご即位に伴う御代替わり、元号も平成から令和となり、新しい時代の幕開けとなった誠におめでたい年でもありました。<br />
スポーツ界でも、ラグビーワールドカップが開催され、日本代表の桜の戦士たちは初の決勝トーナメント進出を果たし、チームが一丸となったその活躍ぶりから、「ONE TEAM」は、昨年の新語・流行語大賞の第1位に選ばれました。<br />
しかし一方で、台風15号、そして史上最大級の台風19号が本州に上陸し、県内でも強風による家屋の損壊や河川の氾濫による浸水、斜面地での土砂崩れなど各地で甚大な被害がもたらされ、あらためて自然災害に対する課題が浮き彫りになった年でもありました。<br />
また、昨年10月には、消費税率が８％から10％に、５年半ぶりに税率が引き上げられま<br />
した。相次ぐ自然災害の影響と共に、増税が今後の経済へ与える影響に十分留意する必要があります。<br />
　さて、今年の干支は、「子」。<br />
「子」には、増えるという意味があり、新しい生命が種の中で芽生え始める状態を指していたことから、すべての始まりと、未来への可能性を秘めているという意味もあわせ持つようです。<br />
本年は56年ぶりの日本開催となる東京オリンピック・パラリンピック競技大会が行われます。我が国全体に夢や希望をもたらす世界的な祭典の成功に向け、各界がONE TEAMとなって取り組み、記憶に残る素晴らしい大会となることを期待いたしたいところです。<br />
市政を取り巻く課題は、福祉、教育、環境など多岐に渡っております。<br />
私ほそだ伸一は、皆様の声を市政に十分反映させ、誰もが市川市に住んでよかったと実感できるまちづくりを推進するため、これまで以上に真摯に取り組んでまいります。<br />
皆様方の更なるご理解ご協力を賜りますようお願い申し上げます。<br />
結びに、本年が皆様にとりまして幸多き年になりますよう心からお祈り申し上げ、年頭のご挨拶とさせていただきます。</p>
<p>豆知識<br />
なぜ「子年」が十二支の最初の年になったのか。<br />
昔々のその昔、神様は動物たちに、家の門に並んだ順番で十二支の動物を決めるといいました。<br />
足が遅い牛は誰よりも最初に出かけ、門への一番乗りを果たしました。ところが牛の頭の上にねずみがこっそり乗っていて、開門した時にぴょんと飛び出してしまいます。<br />
これによりねずみが十二支の最初の動物となり、二番目が牛となりました。<br />
ちなみに十二支に猫が含まれていないのは、ねずみが猫に対して門の前に集まる日を１日遅く伝えていたからです。１日遅れで門に到着した猫は十二支になれなかったので、今でも怒ってねずみを追いかけまわしているんだとさ（笑）。</p>
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		<title>沖縄視察④　航空自衛隊那覇基地　同期の桜慰霊碑</title>
		<link>http://hosodashinichi.com/news/?p=664</link>
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		<pubDate>Sat, 02 Nov 2019 06:20:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[管理者]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[最終日は、午前中に航空自衛隊那覇基地を訪問。基地内の会議室で空自の広報官による活動概要についての座学と質疑応答、F15の格納庫見学と空自整備員によるF15 戦闘機の説明、基地内旧海軍砲台跡、同期の桜慰霊碑にて献花慰霊。  [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>  最終日は、午前中に航空自衛隊那覇基地を訪問。基地内の会議室で空自の広報官による活動概要についての座学と質疑応答、F15の格納庫見学と空自整備員によるF15 戦闘機の説明、基地内旧海軍砲台跡、同期の桜慰霊碑にて献花慰霊。<br />
　基地内の隊員食堂で昼食後、陸上自衛隊那覇駐屯地広報資料館にて沖縄戦座学。国防のほか、災害時の応援支援体制や離島での緊急患者搬送についての概要を学ぶ。<br />
　最後は豊見城市の旧海軍司令壕を見学。<br />
　最終日の訪問先は、個人的にはいずれもこれまでに複数回訪れているが、それでも毎回違った印象が残るしそれまで気づかなかった新たな発見が必ずあるので、ひとことづつでも箇条書きにでもして羅列しておきたいのだが、ここでは、午前中に慰霊をした「同期の桜」に‘関連’したことを少し書くことにする。あえて’関連‘としたのは今回の視察目的とは若干離れてしまうからである。<br />
　広島経済大学の岡本貞雄教授は、学生たちとともに、長年にわたり「いのちをみつめる」活動を行っている。2009年2月23日、岡本ゼミナールの生徒たちに、元海軍第十四期専修予備学生の大之木英雄氏がこの同期の桜碑の前で講演を行った。いわゆる特攻隊の生き証人である。<br />
　特攻というと、およそ人権などを無視した非人道的な作戦の代名詞のようにもいわれ、いきなり襲ってくる発疹のアレルギーのようにやたら拒絶反応を示す人も少なくない。<br />
私自身も、戦争経験者である祖父から晩ご飯の時には必ず自身の戦争体験を聞かされながら育っており、けっして戦争を美化しようという気はさらさらない。しかし、前出のひめゆり女子学徒の献身的な行動がそうであったように、あえて死を受け入れる彼らの行動を果たして善悪という単純な二元論で片づけていいものかどうか。20代後半から私自身がそう思うようになった経験から、大之木氏の証言の一部を残しておきたいのである。<br />
　武士とは何か、侍とはどういう人のことか。江戸時代の階級の一つである一方、潔さ、気風の良さ、礼儀正しい等のイメージはあるものの、その精神性、生き様についての区分を記しているものはそれほど多くはない。その精神性をひとことで言い表すなら、「自分の死期を自分で決められる人」という表現が最もふさわしいのではないか。これを聞いて、かっこ悪いと思う人はあまりいないのではなかろうか。「侍」を枕詞に日本の日の丸を背負って、命運をかけて試合に臨むスポーツ選手たちが頼もしくまた美しく映るのも、まさにこの「侍」のイメージ効果といえよう。<br />
　普通に生きている人は誰でも死にたくない。老衰や重い病で死期が近づいている人でさえ誰も死にたくないのが本音だ。特攻隊員たちは、その受け入れられないはずの死を、苦悩しながらも自分自身の中で納得をして戦地へと出撃していった。「自分がやるんだ」という責任感と主体性を身につけ、死への恐怖と生への未練を超越した崇高さを持ちながら敵艦へと突入された。彼らは、見事に死期を自分で決めたまさしく武人、侍なのである。特攻など大した戦果も上げられず無駄死に、犬死にだ、などという意見もあるのも事実だ。敵味方関係なく、尊い命を数字で比較するのも不謹慎ではあるが、この特攻による沖縄戦で撃沈した米艦船は40隻、撃破350隻、米軍の死傷者数は1万人を超え、カミカゼ攻撃の恐怖で精神的に異常をきたした米兵はその10倍になるということもまた事実である。<br />
　　英国のポーツマスに海軍の英雄ネルソン提督の船と記念館がある。その横にある海軍博物館の真正面には、なんと零戦特攻の大きな写真が展示してあるというのだ。その写真には「特攻は栄誉ある行為であり、道義心を示す象徴である」という一文が添えられている。最高の賛辞ではなかろうか。英国と日本は命の取り合いをした敵国同士なのである。この賛辞ともいえる一文は、いざ有事となり、国を守る、家族を守るとなった時の捨て身の行動は、国や文化は違えどみな同じなのだということを教えてくれている。大之木氏の横で小学生の団体が立ち止まって特攻の写真を見上げている。小学生が見てくれるところに意味がある。本当に涙が出た。と大之木氏は回想している。「特攻というのは、国家や民族の大きな転換点に遭遇した者の、運命であり、使命であった」というのが大之木氏の総括だ。後世の誰かが記憶し、誰かに語り継いでいくことで、特攻隊員たちの尊い命は、「生」につながる犠牲となるという考えもできるのだと感じた。<br />
　　特攻隊員たちのような崇高な気持ちにははるかに遠く及ばないが、平和教育と行政の一端を預かる身として、我々の先人たちが、尊い命と引き換えに残してくれた記録を絶対に忘れてはならないと「同期の桜」碑の前で改めて心に誓った最終日だった。</p>
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