Monthly Archive for 1月, 2016

「食育の祖」の言葉をひもとく

 皆さま明けましておめでとうございます。すっかりご無沙汰いたしましたが、本年もまた信念を貫き通し市政に邁進することをお誓いいたします。

 さて私は、数年前より食の大切さを訴え続け、現職である市議会議員としても自分の政策に食の重要性を唱えるいわゆる「食育」というかたちを取り入れ市政に反映しております。今回は年明けのご挨拶ではありませんが自分の政策のひとつである「食育」という概念を改めて述べたいと思います。

 食育基本法が制定されてから10年が経過しました。最初は子供の「こしょく」から始まり、弧食、個食、固食、粉食、小食、濃食などの問題点が浮き彫りにされ、やがて働き盛りの世代や高齢者にとっても食育が大切であると認識されるようになりました。また、知識としての食育から体験や実践を中心にした食育へと変化が見られるようにもなってまいりました。しかしながら国民全体に食育という概念が浸透してゆくにはまだまだ時間がかかるでしょう。そこで今一度食育の原点を見直したいと思います。

 食育という言葉は、医師であり薬剤師でもあった福井市生まれの石塚左玄が、
「学童を有する民は、躾育、智育、才育はすなわち食育なりと観念せざるべけんや」
と述べたのが始まりだといわれています。明治の終わりに亡くなっていますので今から100年以上も前の話です。

 この石塚左玄に強い影響を与えたのが、江戸時代の観相家として名高い水野南北でした。水野南北は幼くして両親を亡くし、叔父夫婦に育てられましたが、酒に溺れ酒代欲しさに盗みを繰り返し、とうとう牢獄に囚われてしまいます。そのとき、罪人には共通の顔つきがあることに気づき、観相に関心を持つようになりました。老僧に死相が出ていると言われたこともあり、仏門を叩いたところ、「麦と大豆と野菜だけで一年間を過ごしてみなさい」といわれ、食を変えたところ一年後にはすっかり穏やかな人相になりました」。こうした自分の体験をもとに南北は観相家となり、名を成したのです。「人生の吉凶ことごとく食より出ず」つまり、食は命だけでなく運命までも決めるということに気づいたのです。

 この教えを受けた弟子の石塚左玄は、食物と心身の関係を理論化した「食養生」という考えを広め、もともとは仏教用語だった「身土不二」、つまり食べ物の特性や味を生かすには、住んでいる土地で旬に作られたものを食べるのがよいという考え方を唱えたのです。また「神様と思われん人をつくるには、親の親より食を正して」と唱え、家庭での食の大切さを強調しています。

 超長寿社会を迎え、今まさに子供から老人まで生涯にわたって食の大切さを再認識する必要がある時代になりました。そのために私たち一人一人が「食」に真摯に向き合うことが求められています。国の政策としても平均寿命ではなく健康寿命が大切であると方向づけられています。我々一人一人が日々の食を見直すことで健康に暮らせるそんな街づくりを目指してまいります。本年度もどうぞよろしくお願いいたします。

NPO法人日本食育協会 食育インフォメーションより一部引用