女川町までをみたあとで

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」とは正岡子規が奈良に立ち寄った時にふと詠んだ句で松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」と並び代表的な俳句の一つだ。正岡子規と言えば野球を愛したことで有名だが野球用語の和訳、四球、死球、三振等々その他現在も野球解説で使われるコトバを最初に翻訳したのが子規だということはあまり知られていない。帝大在学中故郷の松山に帰っては友人と野球をし、袴に帽子、腰には手拭いという格好が何ともハイカラで子供たちがみんな真似したという。今日から野球は頂上決戦、先週松島から女川町にかけて視察をしたのち仙台経由で帰る途中煌々と輝くクリネックススタジアムを見てきたせいか個人的には東北のチームに勝たせてあげたいと思うのだ。

深夜に地震があった。寝ていたせいか実際よりもやや強く感じたが東北は震度4、熟睡も寸断されてしまう揺れだ。先週石巻から沿岸沿いを北上し女川町へ向かった。地震と津波による東北沿岸部の被害はどこもかしこも同じ有様でどこまで行っても野原のような状態が続いており5月に訪れた南相馬市、浪江町(原発隣り)から続いている光景だ。やや内陸部から女川町に入りあの景色が目に入る。海を正面に見ながら左手にある坂を上ると避難場所に指定されている地域の医療センターがあり地上から約20mの高台だ。このセンターの1階が水没してしまっているので津波の高さは30m近かったとされる。この女川町から北部の岩手県に至ってはリアス式の海岸になっており沿岸部が鋭角に内陸に伸びているため津波被害はより甚大になっている。「復興」の定義は、元どおりになること、以前の勢いが元にもどること、とあるが海とともに生活を営んできた地域の基盤にそれこそ巨大なほうきで掃除をしたように何もなくなっている様を見る限りそれに費やす時間や労力もさることながら住まう方々の忍耐力は如何程かと思う。数百キロにわたり野原と化してしまった場所には以前は確かに人々が暮らし生計を立てていた、その人々が現在仮設住宅や他の自治体で不自由な生活を余儀なくされている。復興税もいいがまず100兆円以上の剰余金を出している特別会計を切り崩し早急に復興費用に充てるべきだ。消費増税や憲法改正の前に特別会計法にメスを入れる勇気こそが未来の日本に大きな希望を与えることになるだろう。

 

 

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