二人の祖父

最近よく言われるけど一番過ごしやすい春・秋が少ない。寒さが一段落するともういつの間にか汗ばむ陽気となり残暑を越えればいきなり長袖が必要になる。私たちが生きているこの現代で、南極の氷が溶けてなくなり海辺の大都市が水没するとかあるいは巨大隕石が衝突し水蒸気や粉塵により太陽光が遮られふたたび氷河期がやってくるとか、という極端な天変地異があるとは思わないが、ちょっとした温度差が気になるようになってきたのはやはり年取ってきた証拠なのだろうか。

この場を借りて祖父のことについて話しておきたい。これまで何度か祖父の思いで話を紹介させていただいたが私には祖父が二人いる。ふだん祖父として話に上がるのは私の母から見て叔る父さんにあたる。つまり母の母(私から見れば祖母)の弟さんだ。母の父親は南方ビルマ戦線で上空敵機からの機銃掃射により昭和19年に亡くなっている。さらに翌年の昭和20年には元々病弱だった祖母も幼い母を残し東京で亡くなってしまった。母の本当の両親の名前は父親が藤田兼太郎、母親が藤田幸子という。戦地から無事に帰ってきた叔父さんが孤児になってしまった母を不憫に思い引き取って育てたというわけだ。叔父さんは細田喜多郎、伯母さん(正確には血縁ではない)は細田千重という。兼太郎さんと喜多郎さんは大酒飲みで召集前は二人でよく飲み歩いていたようだ。召集されてからは二人とも音信不通になってしまったようだが任地のビルマ戦線で偶然再会している。お互いに明日を知れぬ我が身のため浴びるほど飲んだのは言うまでもない。兼太郎さんの仕事は消防士だった、母の思い出によればよく中野の自宅前に赤い消防車を停めては幼い母を車に乗せて遊んでいたらしい。喜多郎さんは神楽坂のお菓子屋の息子これについては以前ふれた。今はもちろんかなわぬ夢だがお二人ともご健在だったら毎日楽しい晩酌だろうなぁとしんみり考えてしまう。これもなんとなく物悲しくなる晩秋のせいなのかなと妙にしんみり感じいってしまうこの頃なのです。

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