靖国参拝とA級戦犯

安部首相の靖国参拝は極めて当然のことだが何やら外野が少し騒がしいので一応ことの流れを簡単に整理しておきたい。

一つ一つの単語の説明は読者のみなさまにお任せするとしてここでは省かせていただきます。

はじめに
靖国参拝をしている各国指導者及び要人、駐日大使
在日米軍横田基地将校会、リトアニア共和国首相、ポーランド、スロベニア、オーストラリア、インド、パラオ、ロシア、ルーマニア、フィンランド、アメリカ、ドイツ、スリランカ、スイス、トルコ、タイ、ブラジル等

靖国神社はもともと「東京招魂社」として戊辰戦争で亡くなられた方々を祀る意味で設置され後に「靖国神社」と改められた。

昭和20年、敗戦後GHQ司令官マッカーサーが日本に来てすぐに戦犯名簿をつくれと指示した。さらにソ連も「自分たちも仲間に加えてくれ」と言い出し東条英樹以下28名の戦犯名簿が出来上がる。(ソ連は終戦直前に形勢不利と見るや「日ソ不可侵条約」を破り日本に進行してきた。日露戦争のボロ敗けを恨んでいる指導者層が相当いた)。いわゆるA級戦犯は日本国内において裁かれる以前にいとも簡単に作られてしまった。
(A,B,C戦犯とは戦争犯罪の種類のことで犯罪の度合いを示すものではない)。

昭和27年4月
まだ服役しなければならない戦犯に同情が集まる。
昭和27年7月
まだ服役中の戦犯1,224名の早期釈放を求めて約4000万人の署名が集まる。当時の総人口が8,581万人だから半分近くが署名したことになる。

昭和28年8月
「服役中の戦犯を釈放、赦免する国会決議」が議決される。
→【全員一致】

「戦傷病者戦死者遺族救援法」「恩給法」の改正

A級戦犯を含む全ての戦死者を「公務死」と位置づける国会決議
→【全員一致】

サンフランシスコ講和条約11条2項において「東京裁判参加国の過半数の賛成により戦犯の名誉回復を可能とする」に基づき日本は関係各国に働きかけ戦犯とされた方々の公民権などを復活させ名実ともに名誉回復を勝ち取った。

昭和31年3月
「A級戦犯」全員赦免、釈放。
昭和33年5月
「B,C級戦犯」全員赦免、釈放。
これは世界で承認された。つまりこの時点で国際的にも国内においてもA,B,C級戦犯という言葉は事実上消滅した。

昭和50年
昭和天皇がいつも通り靖国神社参拝をした。すると突然旧社会党が「それはおかしい」などと騒ぎはじめそれ以来天皇陛下の靖国参拝は行われなくなる。

旧社会党の約7割が民主党に移り2009-2012の3年半で国家の基盤がガタガタになってしまったのは記憶に新しいですよね。

昭和60年
中曽根首相が靖国参拝をすると今度はそれまで何も言わなかった中国が「それは問題だ」と騒ぎたて、これに朝日新聞などが同調しはじめメディアコントロールがおこなわれる。
以来、首相の靖国参拝はエセ左翼の攻撃の的となるため在任中は参拝しないとした方が左翼からの攻撃を回避することができるようになる。

戦没者、戦死者を靖国神社に祀ることは国会の決議による法律に基づいた上で行政の手続きでおこなわれる。

安部首相が「感謝を込めて~」と言っているのは国の為に尊い犠牲を払ったことに対しての気持ちのことであり戦争を肯定する意味ではない。
日本国民が靖国神社に参拝することは極めて当然のことである。

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