70年目の広島

8月11日(火)6時20分の新幹線で広島へ

駅から車で5~6分の繁華街にて昼食もちろん広島焼きをいただく。たまたま入ったお店はやや年配の女性二人で切り盛りしているようだが愛想や態度はあまりよろしくない。食べながらしばらく会話を進めているうちに同行者の一人が広島の地元の方だとわかったらしく接し方がフレンドリーになってきた。私も人のことは言えませんがよそ者嫌いのわかりやすいおかみさんでした。

さて視察の最初はもちろん広島平和記念資料館。説明担当は学芸課 課長補佐 宇多田寿子さん。

ギラつく真夏の昼間だって言うのにTDLのような混雑ぶりの当資料館。実をいうと私がここを訪れたのは今回で2回目。前回はなんと40年前で小学校低学年のとき。母親と広島の親戚に連れられて訳もわからず資料館を見学したのが最初だ。争いなんておそらくだれも好まないし歓迎するものでもないがしかしどうしてもその渦中に入り込んでしまう場合も時にしてあるのが現実であり実社会そのものだ。それが国家間になれば最後の紛争解決の手段いわゆる戦争ということになる。戦争の惨禍惨状を語れば枚挙に暇がないし悲しい事にそれは現在でも世界中でみられる人間の歴史といってもよい。ただこの原子爆弾により10万人以上の一般市民がほぼ瞬間的に焼き殺された事実は人類史上2回しかなくその2回ともが我が日本に対してであったということは揺らぐ事はない。核廃絶が言われて久しい昨今国連の常任理事国は全て核保有国であり一方唯一の被爆国である日本は非常任国というのも国際社会における発言権は核保有量と比例するようで明らかに矛盾を感じる。今50歳の自分が生まれるたかが20年前にこのような残虐で理不尽なことが本当にあった。先人たちの尊い犠牲の上に現在の文明が成り立っている事をしっかりと認識した上で「平和」とは何か、何が「平和」をもたらしているのか、市川市の未来に向けて改めて考えたいと思う。

夕方視察 昨年の広島安佐南区の土砂災害。

75人が死亡、68人のけが人をだした広島の土砂災害。現場から約2㌔ほど離れた地元スーパーから現場を眺めたが土砂はそのスーパーの駐車場までなだれ込んだというから驚きだ。我がまち市川市にはせいぜい25メートルほどの小山が点在する程度だががけのようになってしまっている箇所も数箇所ある。天災は忘れたころにやってくるとの言い伝えどおり万が一のときのために自然の猛威を侮らずしっかりとした備えをしたいものだ。お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

8月12日(水)午前中視察 広島県立美術館。「戦争と平和」特別展、説明担当は学芸員山下寿水さん。

主に戦意発揚のために描かれたいわゆる戦争画がほとんどでフランス革命の時代から先の大戦前後までが時系列に展示してある。最後に広島、長崎関係の絵画数十点が並び戦争の悲惨さを印象付けるような配置だ。ここ広島には平和記念資料館や県立美術館だけでなく公立の小中学校や公民館など市内のいたるところに戦時中(特に原爆関係)の資料が展示してある施設がある。我が市川市でも私の地元である新田地区やまた南部の行徳地区など空爆により被災した記録や写真などの資料がいくつか残っているものもある。これらのものを平和教育、平和学習の資料として市内の公立小中学校に常設し市民の誰もが見学できる資料館のようにしてみてはいかがだろうか。

 

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