浪江町~請戸

浪江町

 より原発に近い浪江町に向かい国道6号をさらに10kmほど南下する。途中警察が立っている。20km地点だ。一月前の2013年4月16日より一時帰宅(9:00~16:00までの7時間)が可能になったばかりなので小高区よりもまだまだ荒れている。常磐線浪江駅からゆっくりと町の中心部へ移動する。町への出入りの道は決められており警備員によって通行証もしくは車のナンバーを記録される。避難区域をいいことに空き巣が横行しているのでその取り締まりもかねているらしい。浪江駅から目抜き通りを抜けて町を一巡する。ここは少し内陸部に入っているため津波被害はないが地震による建物の損壊が激しい。築30年以上の建物はほとんど倒壊か半倒壊、かろうじて倒壊は免れていても斜めに傾いているものが多く到底人が住める状態ではない。当然人っ子一人見かけないし風で空気がこすれる音以外は何も聞こえない異様な静寂に包まれた雰囲気だ。不適切な言い方だが廃墟という言葉を使わざるを得ない。駅前のロータリーの信号(定期的な警察、消防の巡回のため作動するようにしてある)だけが唯一その役割を規則正しく果たしているが通行するものが皆無のため無性に虚しさがこみ上げてくる。

請戸

 福島第一原発に向かって国道6号の右側が浪江町の中心街である商店街、その反対側の沿岸部に向かう。先ほどの検問と同じように警備員がいる。16時までにこの検問所のゲートに戻らないと始末書のようなものを書かないといけないらしい。2kmほど直進すると小高区と同じように広大な野原(くどいようだが元々は住宅街と美しい水田地帯)が広がり、その中に瓦礫が点々と散らばっている。さらに進むと大なり小なりの船の残骸が見えてくる。2年前までは請戸漁港として賑わっていた漁船の数々だ。漁港や市場ももちろんあったはずだがかっての場所もわからないほど跡形もなくなっている。海岸の堤防を原発に向かって右側に請戸小学校が見えてくる。薄青色の立派な小学校だ。近づくにしたがってその惨状に目を覆いたくなる。校舎の正面(校庭)には3~4メートルの高さで100m四方に積み上げられた瓦礫の山、その中には美しかった松の防潮林が車や船、トラクターと一緒にミキサーにかけられたようにクシャクシャに折れ曲がっている。給食室だったのだろう直径1mほどの大きな釜3~4コほどがステンレスの巨大な冷蔵庫とともに無残な形になっている。給食室を抜けて隣の体育館(講堂)へ。ここも天井の高い立派な建物だ。正面の演台には卒業式の横断幕がそのままになっている。隣の大きな時計は3:46で針が止まっている。地震発生から1時間で津波が到達し水没した事を物語っている。広い床の両端がそれぞれ10m四方づつの大きさでひどく陥没している。おそらく津波による汚泥の重さに耐えられなかったのだろう、1階部分はほぼ水没したようだ。子どもたちは無事だったのだろうか、安否を思うといたたまれなくなる。外側の階段から2階へ、鉄製の手すりが毟り取られたようになっている。教室のある校舎は各学年ひとクラスづつ端から順に並びさらに理科室、家庭科室、音楽室と並ぶ。どの教室も広々として立派なものだ。自衛隊をはじめとする救援の方々がきれいに掃除したのだろう、生徒たちの学びのあとがはっきりと感じられる。各教室の黒板にはそれを裏付けるように各方面からの力強いメッセージが書き込まれており思わずまぶたがあつくなる。教室の窓から校庭に向かっている窓をのぞくと正面に原発が見える。生徒や保護者の方々はいったいどのような気持ちでこの景色を眺めるのだろうか。

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