パラオ視察

パラオ共和国の視察に行ってきた。平成28年10月18日~23日までの機内泊を含む5泊6日の行程。フィリピンとグアムの間にある約250の島からなる国家で東京から4時間ちょっとで着くことができる。パラオ共和国には水産業や農業など特に自国の生産を支えるような資源は少なく約245億円のGDPのほとんどを米国に頼っている南洋の小国である。今回は現在パラオ共和国が抱えるインフラ整備などの行政課題や教育行政などを主な目的とし、また先の大戦で散華された英霊たちへの慰霊を合わせて行ってきた。現地での案内人は昨年4月の天皇皇后両陛下の行幸の際に一部現地説明を担当された菊池正雄さんだ。

10月19日(水) 場所 パラオ共和国大統領府 面談者 セシル官房長官 パラオ共和国の行政課題について
 
 高校までの就学率は国民全体の10%にも満たないほど依然として低い水準にある。その原因の一つは、国家予算のほとんどをまたインフラ整備の多くをそれぞれ米国と日本からの援助に頼っているため、国民一人一人がGDP/人いわゆる国民一人当たりの生産力を上げようとせず常に外部に依存する体質が出来上がってしまっているせいだという。そのためかあえて就学を選ばなくてもグアムやフィリピンに出稼ぎに行けば豊かではないが食べることには困らないそんな社会構造も出来上がってしまっている。ただ余談だけれども語学に関して言えばホテルはもちろん街中の食堂やレストランなど英語、日本語によるやり取りはほぼ可能で日本人の私からしてみればヨーロッパのスペインなどよりもはるかに行動しやすい。実際パラオの学校では英語と日本語を教えており我々を案内してくれた23歳の青年は英語が堪能で日本語も片言なら意思の疎通もできるというから一般の若者はこれに母国語のパラオ語も合わせて3ヵ国語を操ることになる。もし仮にコンピューターの技術やインフラ関連の技師などが育つようになればその活躍の幅は世界に広がるといってもいいくらいの素地はすでに出来上がっているのではないか。そういう意味では大変伸びしろのある国民だと思う。JICAの援助だけでなく本市としても独自の支援政策を検討してみたい。
またこれはパラオの政策ではないないが、平和教育・平和学習の一環で修学旅行や課外学習などの学習先にパラオを選んでいる学校もあるようで東京都と大阪府でそれぞれ一校づつ毎年パラオを訪れているようだ。平和都市宣言をしている本市においても、学校の教育課程において平和学習でパラオを訪れ、戦争遺物にふれると同時にパラオ国と日本国との歴史的な繋がりにふれることで次世代を担う若者たちが正しい歴史認識を持つことに一躍担えるのではないだろうか。

10月20日 ペリリュー島

 言わずと知れた太平洋戦争の激戦地である。フィリピンのミンダナオ島から東へ800㎞、日本からは3,000㎞、東西3㎞、南北9㎞という小さい島だ。海洋性熱帯気候で一面ジャングルに覆われヤシの木が群生している。付近の海は世界有数のダイビングスポットとして知られ世界中のダイバーがあこがれる場所でもある。
 1944年(昭和19年)9月15日から11月24日までの71日間、この小さな島で日米両軍6万名近い兵士による死闘が繰り広げられた。米国海兵隊の部隊死傷率は70%ともいわれ、これは米軍の歴史上最悪の数字でもある。日本軍側戦死者は約10,700名で米軍はこの戦いを「The bloodiest battle of the Pacific war(太平洋戦争の最も血なまぐさい戦い)」と表している。
 2015年4月日本国両陛下が慰霊にこの地を訪れた。4月とは言え南国の日差しは日本の真夏以上の暑さだ。71年前、多くの若者を含む日本の兵士たちが祖国日本の将来を思い、尊い命を犠牲にし散華された場所である。祖国を思い家族を想う気持ちに今も昔も敵も味方もない。当時から70年を過ぎた今、いじめによりあるいは虐待により将来ある多くの若い命が失われている。祖国に帰りたくてもかなわなかった当時の若者たちの死から、命の尊さを学び、平和なより良い社会の実現に向けて邁進することが後世を担う我々の責務である。だからこそお年を召されているにもかかわらず、両陛下も炎天下の彼の地を慰霊に訪れたのではないだろうか。命を学ぶことすなわち生きることを学ぶことに他ならないのである。

10月21日 バベルダオブ島

 空港のあるバベルダオブ島と最も人口が集中するパラオの中心部であるコロール島を結ぶKBブリッジが崩壊したことで電気、水道などまちのインフラが機能不全に陥り国家非常事態宣言を出したことがあった。これは橋の建設を請け負った韓国の杜撰な建設実態がその原因でもあるわけだが加えてパラオ共和国全土の水道管や電気設備などのエネルギー供給ラインが極めて脆弱であることを浮き彫りにさせた。その後日本政府が橋を建設しなおし現在に至るわけだが水道設備や電気の供給システムにはまだまだ課題が残されている。事実ホテルで朝食をとっていたところ食堂内が急に真っ暗になりエレベーターも止まってしまった。幸い朝だったので真っ暗闇にはならなかったもののこのことをとある政府関係者に伝えたところ、電気の供給量は十二分にあるものの送電線などの供給網が30年以上経過しているものがほとんどでこの整備に遅れをとってしまっているとの話だった。たしかにGDPこそ外部依存しているものの世界有数の観光立国であるわけだから人々の生活に直結するライフラインの整備は喫緊の課題と云えよう。パラオに限らず本市においても他人ごとではなくガス、水道、電気等の配管は多くが40年以上経過しているものだ。先の東日本大震災で隣の浦安市では市面積の80%以上のインフラが破壊されてしまったように大規模災害時におけるライフラインの機能不全はそのまま市民の生命に影響する。何があっても非常事態に陥らず市民の暮らしを守れる自治体でなくてはならない。

10月22日 バベルダオブ島 コロール市街(首都) 

 パラオ国民21,000人に対しパラオを訪れる観光客は年間で13万人というから紛れもなくパラオは観光立国である。しかし一方でパラオにはほとんど資源らしい資源もなく輸出によって外貨を稼ぐこともできないため米国や日本などの外国資本の援助を受けなければ国家として立ち行かなくなるということも事実である。札幌から沖縄まで行くのとほぼ同じ4時間ちょっとで行ける交通アクセスも我々日本人にとってはとても嬉しいことである。13万人のうちの約35,000人が日本人客であることからみてもその観光収入は馬鹿にできない。世界自然遺産に登録されているパラオ諸島はほとんどの施設で日本語が通用するのでまさに日本にいながら南海の楽園を満喫できるといっても過言ではない。そういう意味では、パラオ観光をもう一つの〝国内観光″という位置づけで改めて見直してみてもいいのでないか。最近では韓国人や中国人も増えてきたようだが、我が日本国こそ観光資源としてのパラオをいまいちど見直すべきなのである。
戦争遺物などを外部に持ち出させないための法整備。
先に述べたJICAによるインフラ整備や爆発性戦争遺物の除去など日本はパラオに対して極めて重要な役割をしている。またパラオと日本国との歴史的な繋がりからみても出国税は米国と同じ20ドルでよいのではないかと考える(現在50ドル、平成29年4月から100ドルになる予定)。

総括
 5日間という短い時間だが多くの場所を訪れ、またトミーレメンゲサウ大統領をはじめセシル官房長官とパラオ共和国の行政の長とお会いすることができとても有意義な時間を過ごすことが出来た。今回の視察を通して感じたのは、パラオ共和国並びにパラオ国民と日本国との強いつながりだ。70年以上も前に、日本はこの南洋の小国を日本の一部として統治しパラオ国民とともに共栄しようというまさに一心同体の家族のような接し方をしてきた。それは統治が始まると同時に「旧官幣大社」という伊勢神宮直系の神社を建立し日本からご神体を取り寄せ奉ったということにはっきりと表れている。我々日本人は、その地域のいたるところに神社があるように、暮らしと祭礼とは常に一体となった生活をしている。そういう精神的な文化がお互いの気持ちのつながりを保たせ地域の平和や安全を守ってきている。だからパラオ国民の中には親日的であり友好的な方が今もって少なくない。
 平成30年、31年からそれぞれ小学校、中学校において道徳教育が教科化となる。文科省によれば、特にいじめによる被害が後を絶たないため、いじめの根絶や最悪いじめによる若者の自殺をなくすことをその主目的においている。世界を見渡せば悲惨な話はいくらでもあるだろう。そういう意味ではこのパラオの出来事はそのほんの一部にしか過ぎないのかもしれない。しかし我々は日本人として、そしてかつては間違いなく日本国の一部であったこのパラオという小国での惨禍から学べることは決して少なくないはずである。子供とは若者とは未来そのものである。子供たちの命が失われるということは我々の未来そのものが失われるということを改めて認識し、この市川市においてもしっかりとした当時の若者たちに自慢できる教育を確立したい。

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