広島の記憶

子供のころの夏休み、確か小学2年生くらいだったか、母に連れられて広島の親戚の家に遊びに行った。まだ新幹線が岡山までしか開通していなかったので岡山から広島までは特急「はと号」に乗り換えて行ったのをおぼえている。40年近くも前のことで滞在中何をしたかはほとんど記憶にないが唯一ハッキリ鮮明におぼえているのは「原爆資料館」を見学したことだ。当時被爆した方々が実際所持していた時計、カバン、中身が入ったまま炭化してしまったお弁当箱、学生服などの衣服等々いくつもの展示物のほか、取り分け強烈に印象に残っているのは原爆の爆風と熱線に焼かれてボロボロになった衣服を纏っているように見える等身大の蝋人形だった。しかしより戦慄をおぼえたのはそのボロボロになった衣服が実は数千度の熱線を浴びてチョコレートのように溶けてしまった生身の人間の肌だったからだ。ただでさえ暑い夏の日差し、被爆された方々の苦しみは如何ほどだったであろう。その悲惨さをあげれば枚挙にいとまがないがいずれにしても20万人以上もの何の罪もない一般市民を一瞬にして焼き殺してしまったという事実は明らかに国際法違反であるし人道的にも許されてはならないことだろう。

広島平和公園の一角に「あやまちは二度と繰り返しません」なる文言が刻まれた碑がある。戦争の是非善悪の判定は別にして「あやまちは・・」は誰に向けられているのだろうか。戦争にかかわった全ての国に同じ碑があるのなら理解できる。しかし世界唯一人類史上初めて原爆を投下された広島にだけその碑があるとしたら極めて嘆かわしいことだ。国連の常任理事国だってすべて核保有国だしイラン、インド、北朝鮮ですら核開発を進めている。坂本竜馬が言ってたな、「理は利に勝る、されど徳に及ばず」と。

法の番人とも言われる内閣法制局、その長官が新しく赴任する。これまでの仕来りを破った異例の人事だそうだ。異例の人事は大いに結構だが、現内閣は憲法改正論議よりも先に憲法の解釈を変更して既成事実をつくってしまおうという魂胆らしい。日本の夏というのは戦争、平和を家族で国民レベルで考える絶好の機会だと思う。あと20日有意義な夏休みにしたい。

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