沖縄視察② 26㈯午後 波上宮(なみのうえぐう)

創始年は不詳だが琉球王国の時代より拝所として尊崇されている。御祭神はイザナミノミコトをはじめとする神々が祀られており格式高い神社である。
 明治23年に官幣小社に列格したこの由緒ある神社の一角に昭和天皇の御製碑がある。
「思はざる病となりぬ沖縄を 
たづねて果さむつとめありしを」
沖縄に行くことが私の務めであるのに、思わぬ病気になってしまった、というような意味だ。昭和天皇にとって、沖縄訪問が叶わなかったことが、大きな心残りであったと拝察される。昭和天皇は終戦後、国民を激励しようと、全国各地をご訪問になった。しかし、沖縄県だけは、米国の施政下に置かれていたため、昭和天皇は、それを果たせずにいらっしゃった。そして、昭和47年に沖縄が本土復帰を果たすと、昭和天皇は沖縄ご訪問を強く希望なさった。しかし、ご訪問が決まりかけた矢先にある事件が起きた。
昭和50年に、沖縄のひめゆりの塔で、当時の皇太子同妃両殿下が、火炎瓶を投げつけられる事件が発生したため、昭和天皇の沖縄ご訪問は沙汰止みとなった。
そして迎えた昭和62年、昭和天皇の念願が叶い、ついに沖縄行幸が決定した。万感の思いであられたと拝察される。ところが、沖縄行幸が決まった直後、昭和天皇は病に倒れてしまった。そして、そのままご容態は悪化し続け、昭和64年1月に崩御された。
 昭和天皇のお気持ちを察するには恐れ多いが、沖縄訪問を強く望まれていらっしゃった陛下にとってはまさに痛恨の極みだろう。
 学生の頃、日本史を少々かじっていた私は、昭和天皇崩御の報を聞いて、いてもたってもいられず冷たい雨の中皇居に出向き、記帳をするわけでもなくただただ涙が溢れてきて、皇居と東京駅の真ん中あたりでただ佇んでいたのを思い出す。
波上宮を訪問したことで、あのころ、社会のことはよくわからなかったけど、素直に真っすぐだった自分を思い出した。来年の6月23日には、今上天皇両陛下の沖縄行幸が実現することを切に願うのである。

追記
首里城焼失の報にふれ、悲しい気持ちでいっぱいです。
沖縄は、先の大戦から見事に復活したように、今後も、逆境を糧とし、人々のたゆまぬ努力によりさらなる発展を遂げられることでしょう。
沖縄県民に心からお見舞いを申し上げます。

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