沖縄視察③ 10月27日㈰ 南風原文化センター

南風原(はえばる)町が運営する公共施設で、資料の収集・記録保存・調査研究、資料・情報の公開と提供、歴史・文化の継承と創造などを活動の柱としている。センター入口右側にはたたみ3畳分くらいの大きなタイル細工の作品がある。遠目からでも火炎放射器で人が焼かれている絵だとわかるので当センターの主張が自ずとうかがえる。入館して真っ先に目にするのは、沖縄戦での女子学徒による飯上げと陸軍病院南風原20号壕の実寸模型だ。手術台の模型も設置してあるので当時の様子を簡単にイメージすることができる。「壕」内の壁に掲げられている負傷兵の手記からは、理不尽な選択を余儀なくされる極限状態において、死を覚悟した人間の行動が切なくも深く心に伝わってくる。このような戦時下における手記の評価には賛否あるかもしれない。しかし、個人的には、爆弾が降り注ぎ、情報が交錯する状況下で下した判断や行動の善悪を、安全地帯にいる者が判定するのはきわめて難しくまた危険なことであると考える。
 展示室をさらに進むと、沖縄戦から復興までの様子が、当時の品々やビデオ映像などでわかりやすく知ることができる。
 センターの裏手に小高い丘がある。この丘こそが、あの女子学徒たちが鉄の暴風のなか、離れた場所で炊いたご飯を桶に入れて、ぶっとい天秤棒で担いで兵隊さんたちに運んだ「飯上げの道」だ。約400メートルの飯上げの道には、見学者のためにコンクリート製の階段が敷かれているが、当時は階段どころか舗装すらされていない泥濘の獣道のようなところだ。この道なき道を、敵艦の艦砲射撃の中、いつ爆弾が直撃するかわからない危険にさらされ、中学校、高等学校の女生徒たちが天秤棒で10㎏以上の飯を担いで運ぶのである。命令だからということだけで果たしてできる行動なのだろうか。
 この丘の裏側には、沖縄陸軍病院南風原20号壕がある。先ほどセンター内で見た模型の実物だ。複数ある沖縄陸軍病院壕軍の中で、南風原病院壕軍は比較的保存状態が良好なため、1990年に戦争遺跡文化財指定の全国第1号となり2007年に一般公開が始まった。センターで予備知識を入れての壕内見学は、当時の人々の様子をより深く追体験できる。
 壕内に入る前に受付で懐中電灯とヘルメットを渡される。見学者が暗い壕内で頭を壁にぶつけてケガなどしないようにとの配慮からかなんとも親切なことだと感心していたら違っていた。すでに構築から75年以上が経過している壕は劣化が進んでいて、少しの衝撃でも崩落のおそれがあるとガイドさんから説明を受けた。実際、見学者が壕の上部に頭をぶつけてその周辺が大きく崩れかかっているのが確認できたし、暗い壕内をよく見てみると、鉄骨で補強を入れている箇所が何か所もある。つまり、見学者に渡されるヘルメットと懐中電灯は、この壕を重要な文化財として次世代に残してゆこうという平和教育的観点からの保護手段だということがわかった。また壕内の壁は半分から上が黒く焦げたようになっている。火炎放射器で焼かれた痕だ。
 多くの女子学徒の証言にもあるように、壕内での生活で最も辛かったのは、横たわる負傷兵たちの血と汗と排泄による汚物が入り混じった強烈な臭いだという。
 沖縄戦の後半、医薬品も食料も底をつき、暗く湿った穴倉で強烈な悪臭と渇きと飢えの中、この戦いが終わったらまた元の生活に戻れると淡い希望を抱いたまま最後に火炎放射器で焼き殺される。もはや悲惨だとか想像を絶するだとかの言葉では到底表現しきれない、ただただ悲しい人間の歴史を感じる。壕内の見学が終わり出口に立ったとき、昨日訪れた波上宮の昭和天皇の御製碑とパラオはペリリュー島のオレンジビーチで手を合わす上皇両陛下のお姿がなぜか脳裏に浮かんだ。

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