みなさま 明けましておめでとうございます。
2023年(皇紀2683年)はウサギ年です。
年が新しくなり、元旦からの数日間はその年の干支に因んだ挨拶をする方も多いことでしょう。
私も、その年の干支にまつわる話題をまくらに今日はどのような挨拶にしようかあれこれ考えたりします。
ウサギはその容姿から毛のモフモフ感もありなんとも可愛らしい動物だと誰もが思うでしょう。
ところが、このウサギについての諺や表現を調べてみるとあまりいいものが見つかりません。
「脱兎の勢い」などは勢いよく逃げるさまを表現するものですし、「ウサギに祭文」などは「馬の耳に念仏」のように、ありがたい意見や忠告をしてもあまり効果がないという意味です。その他、「二兎を追うものは一兎も得ず」や「うさぎの昼寝」などは人の欲や怠惰を指摘した表現で、子どもでも知っている言い回しです。
また、日本最古の歴史書『古事記』で有名な「因幡の白ウサギ」には、サメをだましたウサギが皮を剥がされてひどい目に遭う様子が描かれていますが、皮を剥がすサメも悪いけれどもサメをだますウサギも悪い。いずれにしても新年の挨拶にはふさわしくないように思えます。
実は、ということの程ではありませんが、「ウサギ」ときいて私が思い出す話がいくつかあります。
2000年初めの頃でしょうか、仕事の関係でよくスペインを訪れていたことがあります。とあるレストランで友人が注文した料理を、これ何の料理かわかる?と別の友人が私に聞いてきました。味は鶏肉のようにさっぱりしていて、白ワインソースによく合う、とても食べやすい食感でしたが何の料理なのかはわかりませんでした。その美味しい料理は、ウサギの丸ごとグリルだったのです。現地の友人たちは、日本人の私を驚かそうとわざとウサギ料理を注文したようですが、肉屋の息子である私があまり驚かず、むしろうまいうまいと連発しながらお皿を平らげてしまったことに逆に驚いたようです。
もうひとつの話は、母のことです。私の母は小太りの見た目とは異なり、肉料理を食べません。東京生まれの母は、戦禍の昭和20年(1945年)に山梨県の笹子というところに母の実母、その弟夫婦とともに疎開しました。疎開といっても当時は閉鎖的な土地柄ですから、まちなかに住むわけにもいかず、人里から離れた山の中で簡易な居を構え、自給自足の生活を始めたわけです。野菜やコメはたまにご近所からいただくもこともあったようですが、しばらくしてから極度のタンパク質不足に陥り視力や体力が著しく低下するなど、家族の体調に異変が出始めました。どうしたらタンパク質を補えるかと兵役帰りのおじさんが思案した結果、繁殖力の強いウサギを飼うことにしました。おじさんの繁殖計画は見事に成功し、家族分のタンパク質の確保はできたようです。ある時、食事の用意のためおじさんがウサギをつぶそう(殺す)としたところおじさんの後を当時8歳の母がてくてくと裏庭までついていきました。ヨリコ(母の名前)、来るんじゃない、とおじさんに叱られたものの、母は興味本位だったのかそのままついていき、おじさんがウサギを仕留めるところを見てしまったのです。以来、母は肉が食べられなくなってしまったということです。しかし、その母が肉屋のおかみさんとして約半世紀にわたり商売を続けたわけですからなんとも奇妙なものです。
私なりの「ウサギ」にまつわる他愛もない話を披露しましたが、一方、江戸時代から干支にちなんだ縁起物の商品はよく売れたようです。
最近では、特にウサギ関連の卯年グッズの需要は高く、愛好家の間では、ウサギ関連にお金を費やすことを「う散財」と呼ぶそうです。コロナや戦争、物価高等で世界的閉塞感が依然として漂う中、雪の中を飛び跳ねる元気なウサギのように飛躍の年になることを心から願います。
令和五年 元旦
細田伸一

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