事件事故から見えること

また痛ましい事故が起きた。京都で登校中の小学生の列に暴走車が突っ込んだ。しかもまず進行方向側のガードレールにぶつかってはじかれ反対側の歩道に向かってきたらしいが相当速度が出ていたようで歩道の脇にある高さ20㎝の縁石がジャンプ台のようになり小学生めがけて飛んできたようだったとの目撃証言もある。その目撃証言を裏付けるように車が突っ込んだ民家の畑にはタイヤ痕がないのだ。いったいどういう運転をしていたのか。この手の事件事故は定期的にやってくる。そのたび私自身も気を引き締め日々安全運転を心掛けたいと思う。しかし車を運転する者にとって事故の加害者になるか被害者になるかはほんの僅かの差でしかない。市川海老蔵演じる映画「一命」に以下のようなセリフがある、時代設定は江戸時代後期、主人公(海老蔵))は、自分の息子が家族を養うため幾ばくかの金銭を名のある方に無心に行くのだが意地の悪い家来たちの策略で不慮の死を遂げることになる。そこで主人公は復讐を誓い死を覚悟し相手先へ乗り込むわけだが険しい顔つきの主人公を大勢の家来が取り囲む、その時に主人公が言う、「ほんの少しの差であなた方がこちらへ座り、そして彼(息子)がそちら側へ座っていたかも知れぬ」と。本当にその通りだと思う。運転中にヒヤッとした経験を持つ方は私だけではないだろう。その時たまたまそこに人がいなかっただけなのだ、その時たまたまそこにダンプが通らなかっただけなのだと冗談ではなくいまだに思い出したように何かに感謝することがある。

以前自分のHPで法律の限界についてふれてみた。交通事故だけではなく犯罪被害者やその家族、ご遺族の方々の感情を法律で回復することはまず不可能だろう。被害者のご家族の思いは、その時以前の状態に戻してもらいたい、の一言に尽きるからだ。法学の徒であったにもかかわらず法律について文句を言うのはけしからんことだが、もし法律の執行により遺族感情を元通り回復することができたら間違いなくノーベル賞ものいやそれ以上だろう。

先の加害者はまだ免許取りたての18歳だという、いま安倍内閣で審議されている国民投票の年齢も18歳に引き下げられそうだ。この国の将来や如何に・・。

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