新元号決まる

平成31年4月1日(月)午前に新たな元号が発表された。新しい元号は「令和」。「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ意味が込められている」と安倍首相も述べていた。出典はわが国最古の歌集「万葉集」で日本古典からの引用は初めてだということだ。645年の「大化」以降、248番目の元号である。
 しかし、天皇陛下の生前退位という歴史的に見ても稀有なことが背景にあるとはいえ、これほど「元号」というものが注目されまた人々の関心を引いたことはなかったのではないだろうか。思い出すに、昭和天皇が崩御された時はなぜだかわからないけどとても悲しい気持ちになり、しとしと降る雨のなか(たしか雨だったような気がする)私の足はいつの間にか皇居に向いて歩いていた。冷たい雨も降る寒さの中、皇居は記帳に訪れる人でいっぱいだった。当時、少々日本史(特に昭和史)にのめり込んでいた私は、記帳に訪れる人々の光景を見て「ああ、ひとつの時代が終わったなぁ。激動の時代のなかしっかりと日本国を守っていただいて天皇陛下ありがとう」と心の中でゆっくりと祈るように何回も繰り返しながら唱え、純粋でまっ直ぐだった大学4年生の私の頬は涙で濡れていたのだ。それから30年、世の中も変われば自分の置かれている環境もずいぶんと変化した。
 話を「元号」に戻す。元号の起源は古代中国で、前漢の武帝が定めた「建元」。君主が時間をも秩序づける高度な中央集権国家の証となる制度で、歴代中国王朝をはじめ日本や朝鮮、ベトナムなど漢字文化圏で受け継がれてきた。日本国の場合、この「元号」を考えるのは律令制の役職「文章博士」の仕事で、鎌倉時代以降、幕末までの考案者はほとんど菅原氏で占められているとのことだ。
 改元理由はさまざまで、奈良時代によく見られたのが、めでたい事物の出現を機会にした「祥瑞改元」、逆に天変地異や疫病、火災などの凶事を断ち切りたいとの願いを込めた「災異改元」もあり、江戸時代まで行われていた。
 冒頭で記したように「元号」は大化の改新以降実に1300年以上も受け継がれてきたわけだが、元号を保ち続けるということにはどのような意味があるのだろうか。
 山本博文(東大資料編纂所教授)によれば、元号の意義は、まず連続性であると。元号がずっと続いているということ自体が、我々が歴史の連続性の中に生きていることを国民に気づかせる。それが一番大きな役割であると言い切っている。私は西暦そのものを否定してはいない。世界史の流れを時系列で追う場合や統計データなどを比較するときは西暦の方がわかりやすいし、すっきりとしている。しかし、一方で、大宝律令や承久の乱、明暦の大火、天保の飢饉、安政の大獄などは、その事件事象の名称に元号をそのまま用いることで、当時の時代背景や装束、風俗までもなんとなくイメージでき、その時代を立体的に奥深く捉えられるところに元号の魅力があると個人的には思うのである。ひとことでいえば、1965年生まれの細田伸一と昭和40年生まれの細田伸一みたいなものである。昭和(もちろん平成や令和でもよい)何々と紹介された方がなんとなく世俗的で、相手との距離感がぐっと近くなるような気がするのはおそらく私だけではないでしょう。まぁいずれにしましても今回の「令和」、私はとても気に入っているし上品且つ優美な品のある元号だと思う。私も微力ながら、新しい時代の創造に積極的にかかわって行きたい。